〇〇も方便、鈴虫の音色と楽しい法話を寄る辺に仏門?へのアプローチ、洛西の人気スポット・鈴虫寺のこと

苔寺こと西芳寺の近くにある華厳寺、通称「鈴虫寺」は、一年中鈴虫の音色が聞こえるお寺、楽しい法話に接することのできる場所、お願いを叶えてくれるお地蔵様がいるところ等々の世評がよく取り沙汰されます。そうした方向にもっていく手法もビジネスモデルの妙と評する人もいますが、仏門や教義の枠を越えた人気スポットです

苔寺こと西芳寺の近傍に位置する鈴虫寺は、清水寺や東福寺とは少し違った意味合いで、混雑の度合いが高まるスポットです。多くの観光客が訪れ、繁忙期には境内に入るのに30分待ちとか1時間待ちとかのこともあるといいます。 そのあたりの事情を詳しく述べる前に、まず概要の整理から。鈴虫寺とは通称で、正式名は華厳寺です。江戸時代の中期に華厳宗のお寺として開かれ、幕末に臨済宗に改められました。この華厳寺の歴史的ないしは宗教的バックボーンを説明するには、これ以上の特筆すべき情報はありません。それでも、このお寺は清水寺や東福寺に匹敵する人気スポットとなっているのです。 それは、昭和時代の終わり頃から観光誌やテレビ等を利用して積極的な観光客誘致を行ってきたお寺だからなのです。鈴虫寺という通称名は境内で多くの鈴虫が飼育されているからですが、飼い始めたきっかけは、鈴虫の声が悟りへの導きになると先代住職が考えたことにあったそうです。それが飼育する鈴虫の数を増やしていき、いつしか観光客へのアピールに用いるようになっていました。昭和の頃からすでにガイドブック系の雑誌で広告を見かけるお寺として知られていたのです。 近年では、飼育方法の工夫によって、秋だけではなく一年を通して鈴虫の声を聞くことのできる環境づくりに成功、それによって雑誌やテレビ番組でも頻繁に取り上げられるようになっています。 近くに集客性の高いスポットがあるわけでもなく、また京都駅や市の中心部から離れているという条件では、寺院経営がいろいろな意味で厳しくなるのは事実です。西芳寺が観光客を受け入れていた頃はまだしも、事前申込制となって以降は、華厳寺(鈴虫寺)だけを目的に訪れてもらえるよう工夫する必要に迫られたのでしょう。 他の人気寺院がそうであるような話題性の高い景観が境内で楽しめるとか、貴重な寺宝を展観しているとかの要素がないのなら、別の方法で集客を図らないといけない、そうした時に境内で飼われていた鈴虫を活用することになったようです。

鈴虫説法

現在の住職は、鈴虫説法と題して、ユニークな語りでの法話を披露しています。かつては大量の鈴虫が訪問の目的でしたが、近年では鈴虫以上に法話の面白さが話題になっているようです。仏教の教義では、仏が深遠で高邁な真理を伝えるために、さまざまなたとえ話を使うというくだりがあります。いわゆる「方便」と呼ばれるものです。 鈴虫寺で接する楽しい法話は、仏教的なものがベースなのでしょうが、それはあまり表には出さす、人としての振る舞いを説く、いわば人生訓のようなものになっているようです。そうした当たり前のことを、諧謔を交えながら優しい口調で語り聞かせてもらうことで心にストンと落ちてくるのではないでしょうか。聴衆の中には、そうした法話を漫談と評する人もいるくらいで、この法話が方便となって教えの世界に近づいているようです。それ以前に華厳寺に世間の注目を向けさせるきっかけとなった鈴虫の存在もまた方便だったということになるのかも知れません。

わらしをはいたお地蔵さま

ここまで鈴虫寺について、境内に特徴がなく、アクセスも不便という説明にしていますが、詳しく説明しておきます。境内アイテムでは、鈴虫とは別に幸福地蔵と名付けられたお地蔵様をピックアップする向きもあります。わらじを履いた石の地蔵立像で、名前と住所を告げて1つだけのお願いをすると、それを叶えるために願主のもとに歩いてやってくるのだとか。本当にやってきたら怖いですけどユニークなお地蔵様であるには変わりありません。

鈴虫寺へのアクセス

アクセスについては、最寄り駅である阪急嵐山線の松尾大社駅からなら路地裏をつなぐ最短ルートを使っても徒歩15分は要しますし、分かりやすいルートを選ぶなら20分弱といったところでしょうか。 この点では便利とはいえませんが、それでも門前には約60台収容可の専用駐車場(駐車料金500円)があることや、京都バスなら京都駅から四条烏丸経由で鈴虫寺終点の路線が出ているなど、悪条件ばかりではありません。 繁忙期の京都観光でマイカーを使うことはお奨めできるものではありませんが、千代原口交差点から物集女街道へ抜ける郊外ルートだけに留めるのなら渋滞に巻き込まれる可能性は少ないでしょう。とはいえ、千代原口の交差点は洛西エリアでは渋滞が発生しやすいポイントです。千代原口トンネルの開通で物集女街道行きと市内中心部方面に向かう流れとが分けられたとはいえ、警戒しておくに越したことはありません。