平安末期にあたる承安5年(1175)、法然上人が比叡山下りて草庵を結んだのが起源と伝わる「くろ谷 金戒光明寺」。小高い丘に堂々たる山門が建ち、境内に阿弥陀堂や御影(みえい)堂、大方丈、文殊塔、18ヶ寺の塔頭寺院が建ち並んでいます。浄土宗七大本山のひとつ、京都四箇本山のひとつとして格式の高さを誇り、地元の人からは「くろ谷(だに)さん」と呼ばれ親しまれています。
堂々としたたたずまいの山門は、応仁の乱で焼失後、万延元年(1860)に再建されたもの
山門の楼上に掲げられた勅額「浄土真宗最初門」は、後小松天皇によって宸筆されたものだとか。
御影堂から墓地内の階段を上がって文殊塔(三重塔)へ
御影堂は昭和19年(1944)に再建されたもので、内陣には法然上人の御影を安置。本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作と伝えられています。
治承4年(1180)~寛治元年(1185年)の「源平の戦い で活躍し、のちに法然上人の弟子となる武将・熊谷直実(くまがいなおざね)。直実がこの地に来て出家した際、身に付けていた鎧(よろい)を洗ってかけたといわれる「鎧かけの松」があり、現在は3代目の松を見ることができます。
また、御影堂の東南にある墓地内に建つ文殊塔は、寛永10年(1633)に徳川秀忠の菩提を弔うために建立されたもの。高さ25.7mの三重塔で、重要文化財に指定されています。
「ノミおさめ如来」を安置する「阿弥陀堂」
阿弥陀堂は慶長10年(1605)に豊臣秀頼が再建したもので、金戒光明寺の堂宇の中でもっとも歴史ある建物です。恵心僧都(えしんそうず)最終作といわれる本尊の阿弥陀如来像を安置。彫刻で使ったノミが胎内に納めていることから「ノミおさめ如来」とも呼ばれています。
極楽浄土を再現した「極楽橋 と「蓮池」
境内の蓮池に架かる極楽橋は、出家を決意した熊谷直実がカブトを置いて弓の弦を切り、その弓を池に架けた形が起源だといわれています。寛永5年(1628)に、春日局(かすがのつぼね)が木造の極楽橋を寄進。その後、寛永18年(1641)に豊永堅斎によって石橋の極楽橋に作り替えられ、それから360年以上が経過した年に改修。擬宝珠(ぎぼし)と欄干を加え、極楽浄土の橋が再現されています。
熊谷直実の逸話によって、蓮池は「兜之池(かぶとのいけ)とも呼ばれています。
「新撰組」発祥の地としても知られています
暗殺などが相次いでいた幕末の京都。文久2年(1862)、徳川幕府は会津藩に京都守護職を任命し、この地に1000名の本陣が置かれました。境内の墓地には会津藩の殉職者が埋葬されています。
「西雲院」は、300名を超える会津藩士の菩提寺として知られています。
さらに近年は「アフロ仏像」と呼ばれる仏様が注目の的に!
見どころの多い境内で、ここ数年注目を浴びているのが、文殊塔につながる石段の脇にある「アフロ仏像」。正式名称は「五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)」で、お顔の倍以上もありそうな大きなアフロのような髪型が目を引きます。
「五劫」とは21億6千万年という時間の単位! 全国でも珍しいこの髪型は、髪の毛が伸びて積み上がるほどとてつもなく長い歳月をかけて修行をした証だとされています。御朱印もアフロ仏像の押し印で人気を集めています。
西山連峰を望む高台にあり、見晴らしも良好!
小高い境内の墓地内には1万基を超える墓碑が並び、西山連峰をはじめ、平安神宮の大鳥居や京都タワーを見渡せる絶好のロケーションとなっています。境内や山門は、大河ドラマ「新撰組!」などさまざまな映画やドラマのロケ地としても知られています。
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くろ谷 金戒光明寺(くろだに こんかいこうみょうじ)
●京都市左京区黒谷町21 ●市バス停岡崎道から徒歩10分