「特別」にもいろいろありますが、まずは一見の価値があります。文化的な側面であれ、美術的な側面であれ、何かの点で価値があったとしても、管理する側に観光客を受け入れる態勢が整っていない場合は非公開となります。それが一転するのが「特別公開」。実際の価値判断は、現物に接してからでも遅くありません。
京都には、世界遺産に登録されている神社仏閣等を筆頭に、数多くの観光物件があります。それらに対しては、歴史的な背景からアプローチするか、美術的な方向から攻めるかは、人それぞれです。というのも、当たり前のことですが、それぞれにはそれぞれの魅力があって楽しみ方もさまざまになっているからです。
とはいえ、どのような楽しみ方をするにせよ、対象に直接的に接する機会がないと、何も始まりません。金閣寺舎利殿や銀閣寺観音殿の内部のように、入ることのできない部分を伝え聞く情報のみで空想してみるのも、まだ見ぬ相手に空想のみで接するのに似て、楽しみ方の一つですが、少々マニアックが過ぎるところもあるでしょう。
と、こんな話を始めるのは、京都には数多くの観光物件があるとは言うものの、観光化されていない物件もまだまだ多いという事情があるからです。それが歴史的ものであるか、美術的なものであるか、はたまた宗教的であるかもしれませんが、なにがしかの方向から意義が語られるにもかかわらず、公開されていないものは、公開されているものよりもずっと多いはずです。というのも一般公開を行うにあたっては受け入れる側にも相応の準備が必要になるからです。だからこそ、期間を限っての特別公開や特別拝観には大きな意味が出てくるのです。
確かに、毎年春と秋に定例的に公開されているスポットであっても「特別」との冠を被せることもあります。また毎年でないにせよ、2〜3年には1度の割合で公開されているスポットなのに、「特別」と銘打たれることで、やたら価値があるかのように錯覚してしまうケースもあります。その意味では「特別」が安売りされている気配もしないではないのですが、それでも「特別公開」と掲げられると、そぞろ気持ちも動いてくるというものです。
そうした中、「特別公開」の名に本当に値するのが京都古文化保存協会が世話役的な立場で行う「京都非公開文化財特別公開事業」です。昭和40年から継続的に行われているもので、春秋の二回に分けて行われています。
このラインナップにも頻繁に公開される「特別」も含まれているので、どこまでが本当の「特別」なのかを問い始めると議論の余地はありますが、数年から十数年の一度の公開というものがラインナップに加わることが少なくないので、春秋のシーズンの訪れる際には、京都古文化保存協会のサイト(http://www.kobunka.com/index.html)でチェックすることをお奨めします。
ちなみに、平成30年度の秋季公開[11月1日〜11日、期間が異なる場所あり]には、哲学の道の南端近くに位置する光雲寺(臨済宗南禅寺派)が含まれています。小川治兵衛作庭の池水回遊庭園は京都市名勝に指定されている場所の一つで、公開は13年ぶりになるそうです。
また10年ぶりということで白沙村荘橋本関雪記念館も加わっています。古くから京都に馴染んでいる人の中には、白沙村荘は常時一般公開ではなかったっけ?と思うかも知れませんが、詳細を見ると「庭園《名勝》、地蔵尊立像《重文》、聖徳太子二歳孝養像、迦楼羅王像」となっていますので、施設内喫茶から庭園を眺めることができるだけでなく、お庭に入ることができるということなのでしょう。あるいは直接立入でないまでも、通常の公開では入らせてもらえないエリアが開放されるということなのでしょう。十数年前までは一般の入場でも阿羅漢がここかしこに置かれている庭園を自由に散策することができていたのですが、いつしか庭園への直接立入は制限されて展示品のみの公開となっていました。
ほかに注目しておきたいのは、六道珍皇寺でしょうか。ここも常時一般公開の場所ですが、有名な閻魔大魔王坐像や小野篁立像はお盆の時期しか公開されませんし、さらに輪を掛けて有名な冥土通いの井戸は壁越しで遠目に見ることしかできないのが通常の状態です。今回の秋季特別公開の要項には「薬師如来像《重文》、閻魔堂、閻魔大魔王坐像、小野篁立像、地獄絵、冥土通いの井戸、赤松家ゆかりの銘刀、他」とあるので、閻魔像や篁像の扉がお盆の時と同じように開かれるのに加えて、通いの井戸のある庭に入ることができるのでしょう。
初に少々嫌みっぽく書いたように、「特別公開」と銘打たれたイベントの中には、「特別」が安売りされているものが混じるのは、残念ながら事実です。しかしスーパーの特売チラシの見極めと同じように、普段からどういう場所がどういう形で公開されているのかをこまめに確認しておけば、特別公開という看板が本当の特別かどうかは見えてきます。