地元だけでなく、世界中からお客さんが集まる「錦市場」アーケード街の中には多様な食材の専門店が集い、商品や人々がひしめき合っています。品質の良さと知名度で不動の人気を誇る食の宝庫は、いつも活気に満ちています。
錦市場とは、京都の中心部で東西にのびる錦小路通の商店街のこと。高倉通から寺町通までのエリアにあたり、長さはおよそ390m。道幅は3.2mから5mと狭く、通り沿いに約130店舗が軒を連ね、毎日賑わいをみせています。主に生鮮食品を扱う専門店が並び、そのジャンルは野菜や鮮魚、精肉から惣菜、菓子とさまざま。客層は地元飲食店の仕入れや主婦、観光客と多彩で、目的も繰り出す時間も異なります。料理店への卸が多い東側や小売店の多い西側。仕入れ目当ての客が多く、箱売りの食材が並ぶ朝方と加工品の販売が増える午後など、場所や時間によって表情が変化するのも錦市場ならではの光景です。また食材以外にも生花や調理器具、日用品などが揃い、日々の生活に寄り添うとともに、京都の食文化を支える場所にもなっています。
昔から、盆地である京都の人々に新鮮な魚介類を提供してきた錦市場。鮮魚店には旬の魚などがずらりと並びます。
冷たく清らかな地下水に恵まれた錦小路は、生ものの貯蔵に適していたことから、平安時代から魚を売る商人や店が集まり市場を形成していたとされています。今から400年以上前の元和元年(1615)に江戸幕府より「魚問屋」の称号を与えられ、特権的鮮魚市場の地位を確立。「上の店」「六条の店」と並んで、「京の三店」と呼ばれました。明治維新後の特権の廃止や、昭和2年(1927)京都中央卸売市場ができたことで、一時期は店舗数が激減。昭和3年(1928)に青果店や精肉業など鮮魚店以外の食料品店も加わり、食に関するあらゆるものを取り扱う現在のような「京の台所」となりました。「錦小路」は、平安京造営と共に整備された小路で、当時の名称は「具足(ぐそく)小路」。それがなまって「くそ小路」と呼ばれていたことから、時の天皇によって、四条通の南側にある「綾小路」に対して「錦小路」に改められたそうです。また、錦小路は奇才の絵師・伊藤若冲(1716~1800)が生まれた地としても有名。伊藤若冲は江戸時代後期に活躍した絵師で、『動植綵絵』や『野菜涅槃図』など、野菜や動物をモチーフにしたユニークな絵画を多く描きました。当時の錦市場にあった青物問屋で生まれ、家督を弟に譲って絵画三昧の生活を送ったとされてきましたが、近年、若冲が青物問屋主人として錦市場の窮地を救ったことを示す史料も発見されています。
写真は平成5 年(1993)に完成した現在のアーケード。「柱なし工法」で作られ、辻ごとに京の食文化の伝統と四季の天井画が描かれています。
種類の多さと品質の良さに定評がある錦市場。調理済みの惣菜やスイーツは、1個や1串から買えるものも多いので、気軽に楽しむ「食べ歩き」も人気を集めています。写真は、「京都 錦 魚力」の鱧カツです。
「田中鶏卵」の京だし巻も串に刺してあるので食べ歩きにぴったりです。
通りにいい匂いがたちこめる「こんなもんじゃの豆乳ドーナツ」もおやつとして人気です。
長保年間(999~1004)に、歓喜光寺の鎮守社として創建された「錦天満宮」。豊臣秀吉によって錦小路通の東端に移されて以来、「錦天満宮」と呼ばれるようになりました。学問のほか、商売繁盛や家内安全のご利益があるとされ、「錦の天神さん」と親しまれています。鳥居がビルに挟まれて立っているのも、錦天満宮ならではの景色です。
境内には、京の名水の一つ「錦の水」が湧いています。地下約30mから湧き出ています。
菅原道真を祭神に祀っています。境内には、撫で牛や末社、からくりおみくじなどがあります。
祇園祭で神様を御旅所へ運ぶ3 基の神輿の1 つ「西御座」は、錦神輿会によって担がれています。7 月24 日の還幸祭には、屋根に鳳凰をのせた煌びやかな神輿が錦市場の中を通ります。三基の中で一番大きな「西御座」は重さ約2t。かけ声と共に神輿が担がれる様子は圧巻です。
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まとめ
京都錦市場商店街振興組合
TEL.075-211-3882
http://www.kyoto-nishiki.or.jp/
※営業時間・休日等は店舗により異なります。