哲学の道、永観堂、南禅寺、清水寺、東福寺。秋の京都、東山界隈の立ち回り方をご案内。

京都の紅葉観賞では、東山での立ち回り方は重要です。紅葉シーズンに賑わう東山は、銀閣寺を起点にしての哲学の道と永観堂や南禅寺、そして清水寺や東福寺の界隈ですが、どこも超人気スポット。欲張りすぎると疲労感だけしか残らないということにもなるので、ターゲットを1つないしは2つぐらいに絞るのがいいでしょう。

京都は、南側を除く三方向が丘陵で囲まれた街です。そのため平安の昔から人々はそれぞれの方角を東山・北山・西山の名前で呼んできました。そうした背景を踏まえ、京都の市街地から東方に見える峰々およびその山麓を総称して東山と呼ぶという説明が一般に行われています。 しかし、この説明での東山は範囲がきわめて広く、比叡山も東山なら稲荷山も東山ということになってきます。 これに対して、行政区の東山区に基づいて東山を説明する向きもあります。すなわち三条大橋のあたりから清水寺周辺を経て泉涌寺や東福寺ぐらいを東山とするわけです。比叡山から伏見稲荷が広義の東山で、三条大橋から東福寺が限定的な東山といったところでしょうか。 こうした広義と狭義の中間的な立場で、室町時代の東山文化をを持ち出して、銀閣寺のあたりからが東山だとする意見もあります。いずれにせよ、東山の定義は一筋縄にはいきませんが、ここでは銀閣寺周辺から清水寺を経て東福寺界隈までを対象に話を進めることにします。

銀閣寺と哲学の道

最初のエリアでは、銀閣寺を拝観してから哲学の道をのんびり歩いてみましょう。 銀閣寺では、錦鏡池のほとりに立つ観音堂の眺めが見どころになりますし、疏水に沿った哲学の道では水面に映る紅葉が楽しめます。 哲学の道の人出は、桜の季節に比べると心持ち抑えられているような印象がありますが、それでも11月の後半、週末の午後などは人気スポット相応の混雑ぶりとなっています。 このエリアでの追加スポットは、銀閣寺道にある白沙村荘および哲学の道より山側の一筋にある法然院と安楽寺です(法然院と安楽寺はともに限定公開、拝観可能日時は事前確認必要)。

永観堂と南禅寺

2つめは哲学の道より南側の一帯。このエリアでは、古くより「もみじの永観堂」と称えられてきた永観堂こと禅林寺を中心に京都の秋を楽しんでみましょう。 また永観堂から遠くない場所にあるのが南禅寺。永観堂の紅葉は時間をかけてゆっくり観賞したいところですし、南禅寺には広い境内に見どころが数多くあります。そのため永観堂と南禅寺を組み合わたプランを考えるのなら、1日をフルに使うぐらいのボリュームにすることもできます。 それらに加えて、こちらも永観堂からは距離的にさほど離れてはいない金戒光明寺(黒谷)および真正極楽寺(真如堂)、あるいは南禅寺から近いところにある無鄰菴庭園など、近傍は追加スポットに事欠きません。

清水寺周辺

大修理の真っ最中で、見映えの点で問題がないわけではない現在の清水寺ですが、その周辺が3つめのエリアです。中心はもちろん清水寺。しかし高台寺や青蓮院門跡にも、豊かな木々と水の庭園(池水回遊式)があり、季節の彩りを楽しむことができます清水寺が目的で出向いたのに、その混雑ぶりに耐えられないと思った場合は、青蓮院門跡など近くの代替スポットに逃れるのも選択肢です。 ちなみに、円山公園もその東側ゾーンは池を中心とした池水回遊式庭園なので、季節の移ろいが感じられる場所となっています。枝垂れ桜の周囲は年中混み合っていますが、東側ゾーンの山際に近づけば近づくほど、人の姿はまばらとなってきます。 そして、その奥にあるのが、混雑から隔絶された長楽寺。秋の繁忙期を迎えた東山で、静けさが楽しめるスポットとしては、ほとんど無二の存在と言っていいでしょう。

泉涌寺と東福寺

4つめは、永観堂と並んで、古くより紅葉の名所と喧伝されてきた東福寺を含むエリアです。このエリアでは、東福寺はもとより、その東側に位置する泉涌寺、さらに泉涌寺北側の今熊野観音寺が見どころとなります。 紹介するメディアも多く、注目を集めやすい東福寺に比べると秋の泉涌寺という認識は、あまり浸透していません。古くから皇室ゆかりの御寺として尊崇されてきた云々と泉涌寺自体の情報は十分に発信されていますが、秋の景観がとりわけ強調されることは多いとは言えません。しかし御座所庭園(泉涌寺境内における特別拝観の対象域)の彩りは美しさを強調するに足るものです。 同じことは今熊野観音寺についても言えます。神社の由緒等の紹介は行われていても、秋の景色との紐付けが盛んになされてきたわけではありません。 今熊野観音寺は山際ぎりぎりのところに境内を開いているため、山の木々が色づく頃には紅葉の中に多宝塔などの伽藍が浮かんでいるように見えます。そうした景色の美しさはもう少し強調されても良さそうなところです。 東福寺の秋景色が有名すぎるためなのか、その目と鼻の先にある泉涌寺や今熊野観音寺は、季節の関心からこぼれてしまっているのかも知れません。