左京区を走る仁王門通の由来となった仁王門がある「頂妙寺」

三条通より少し北、京都の東西に走る通りのひとつである「仁王門通 。 西の端は鴨川東岸の川端通との交差点で、東大路通、平安神宮の参道道である神宮道、白川通などと交差しながら東の端となる蹴上の交差点で三条通と合流します。 このあたりには、55もの寺院が点在しているといわれています。 仁王門通の仁王門とは、どこの仁王門のことなのでしょうか? それは、川端通の仁王門通に面して立つ、日蓮宗京都十六本山のひとつ「頂妙寺」です。 頂妙寺を参拝するための通りとして、仁王門通と命名されたと伝えられています。


仁王門通の山門から頂妙寺の境内に入ると、さらに門が建っています。 この門が仁王門です。仁王門が直接仁王門通に面しているわけではないですが、とても立派な門構えです。

頂妙寺の仁王門には、東に「持国天像」、西に「多聞天像」が安置され、「二天堂」とも呼ばれています。 また、門の中央上部に豊臣秀吉が宗門布教の再開を許可したとされる書状の扁額も掲示されています。

さらに、仁王門をくぐると日蓮上人の像が見え、その後ろには、ご本尊の十界曼荼羅が安置されている本堂が建っています。現在の本堂は天保8年(1837)に再建されたものと伝わっています。

俵屋宗達ゆかりの寺としても知られています

「風神雷神図屏風」で知られる江戸時代初期の画家・俵屋宗達とのゆかりも深い頂妙寺。境内には宗達のものと伝わる墓があり、重要文化財の「紙本墨画牛図」を所蔵しています

頂妙寺の境内はとても広く、真如院、法輪院、大乗院、善性院、妙雲院、本立院、善立院、真浄院と、8つの塔頭を所有。また、大黒天堂や子育てにご利益のある神様を祀る鬼子母神堂、日蓮宗の寺院に欠かせない妙見宮なども有していますが、それでも境内は広々としています。


仁王門通の通り名の由来になった由緒ある寺院

戦国武将・細川勝益から寺地の寄進を受け、下総国出身の僧・日祝上人(にっしょうじょうにん)が文明5年(1473)に開山したと伝わる「頂妙寺」。 創建当時は、南北は四条通から錦小路通、東西は柳馬場通から富小路通に至る寺域で、その後移転を繰り返し、仁王門通に面した現在地に落ち着いたのは延宝元年(1673)のことと伝えられています。 観光寺院ではないためひっそりとしていますが、仁王門通周辺の観光寺院とあわせて立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
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頂妙寺(ちょうみょうじ)
●京都市左京区仁王門通川端東入ル大菊町96 ●京阪三条駅から徒歩5分