泉涌寺には、たくさんの塔頭があります。西国三十三箇所の札所、今熊野観音寺や与一さんの通称で親しまれる即成院など。なかでも取り上げておきたいのが、鷹峯の源光庵よろしくの丸窓を備えた雲龍院。窓の名前も、源光庵と同じ「悟りの窓」。悟りが得られるかどうかはさておき、迷いの窓・悟りの窓は源光庵だけでのものではありません。
大きな寺院や有力な寺院の境内や近傍にあり、その寺に関連する小規模な僧房のことを塔頭と呼びます。この言葉は元来は禅宗寺院特有のもので、祖師の死後に遺徳を偲んで近くに建てた塔や僧房をそう呼んでいたのですが、いつしか他の宗派においても同様の使い方をするようになりました。
禅宗のケースでいえば「妙心寺の山内塔頭である退蔵院や東林院あるいは境外塔頭の龍安寺」という言い方であり、他の宗派で使われるパターンでは「清水寺の塔頭成就院」などがそれに当たります。
厳密な使い方に徹するのなら、他宗派では末寺や子院などの呼び方になるところですが、深く拘らずに広く塔頭と呼ばれているのが現状のようです。
真言宗寺院である御寺こと泉涌寺も、塔頭寺院がよく取り沙汰される大寺です。泉涌寺については、御座所庭園を中心に見どころを紹介しました。今回はそれとは別に塔頭寺院にスポットを当てていきます。
よく知られたところから挙げるなら、今熊野観音寺が最初でしょうか。西国三十三箇所に名前を連ねているのは強力な要素と言っていいでしょう。秋の紅葉が鮮やかに映える境内という点でもピックアップされることが多いので泉涌寺塔頭の代表格に据えてもよさそうです。なお禅宗寺院の東福寺では境内塔頭の龍吟庵を紹介する際に「塔頭第一位の龍吟庵」と表現することがあります。こうした序列を明示することは他の寺院では見かけないので、泉涌寺で観音寺を最初に取り上げたことにもさほどの意味があるわけではありません。
続いても有名どころで即成院を挙げておきましょう。即成院が広く知られるのは境内に那須与一のお墓があって「与一さん」という言い方が通称としても使われることがあるからです。そして、もう1点、10月の第3日曜に行われる二十五菩薩お練り供養です。これは菩薩来迎の様相を再現するという主旨と行われる法要で、金色に輝く菩薩のお面と金襴で飾った25人が境内に設けられた舞台の上を練り歩きます。
京都の奇祭というと、奇妙な踊りで有名な今宮神社のやすらい祭、牛に乗った仮面の神が現れる広隆寺大酒神社の牛祭、豪壮な松明が石段を走る鞍馬由岐神社の火祭の名前が挙がります。京都ではこの3つを一括りにして「三奇祭」と呼ぶのが通例ですが、このうち牛祭は現在は行われておらず、「三奇祭」という言葉もあまり使われなくなってきています。
そこで替わりにというのもおかしな話ですが、、同じ仮面の祭である即成院の二十五菩薩お練り供養を入れてみてはどうでしょう。
無理に「三奇祭」を拵える必要はない?、そうですか、それなら、それはさておきということにしておいて、泉涌寺塔頭でもう1箇所、雲龍院の話に移ります。雲龍院は山内塔頭ですが本山南側にあり、泉涌寺道から大門・仏殿・舎利殿、そして御座所へと向かうルートをスタンダードとするなら、最初から別ルートを辿っての参拝となります。そのため通常であれば拝観のラインナップから外れてもおかしくないのに、立地条件とは裏腹に高い人気を誇っています。これはひとえに雲龍院書院悟之間にある「悟りの窓」によるものなのでしょう。
「悟りの窓」というと、一般的には鷹峯源光庵にある丸窓の言いかと思われています。しかし源光庵と同じように美しい丸窓を備えた書院がこの雲龍院にもあり、その「悟りの窓」を通して眺める屋外の景色は源光庵のそれに劣るものではありません。
また源光庵の場合、角窓と丸窓が並ぶことで煩悩と悟りの対比を象徴しているのに対して、雲龍院では別間である蓮華之間に4つに並ぶ端正な角窓があり、それぞれを通して4様の庭の景色を眺めることができる仕組みになっています。この角窓からの眺めを煩悩と見なすかどうかはそれぞれのご判断ということにしておきます。そして窓枠を通して庭の風景を切りとるスタイルは、源光庵が嚆矢であったとしてもその専売ではないということだけは言い添えておきます。
この他にも、雲龍院には討ち入り前に大石内蔵助が書いたと伝わる書があったり、一風奇妙な表情に見える「走る大黒天像」があったりと、小さいながらもユニークな面白さのある場所です。このように、大きな寺院を訪れると、併せて塔頭寺院にも目を向けるのが面白いのですが、たいていの場合は拝観料別途となっているので、実際には懐との相談といったところでしょう。