東福寺を語る上で秋の紅葉は必須事項。そしてそこでは通天橋の存在が鍵になってきます。しかし、通天橋はなぜあんな不思議な場所に架けられているのでしょうか。門をくぐって境内に入っていくと、いきなり足下より低い場所が現れる謎です。紅葉スポットとしてみるだけでなく、謎解きの鍵として通天橋にアプローチしてみましょう。
紅葉名所として名高い東福寺には、七不思議と呼ばれる「不思議」が伝わっています。寺院のおける七不思議というと知恩院や清水寺のものが有名でしょうか。語る人によって内容が入れ替わることも少なくないので、聞いたことのあるものを数え上げていくと七つでは収まらないことも往々にしてあります。
それでもやはり七不思議と呼ばれ続けるのは、これまた不思議と思えるくらい面白い現象なのですが、東福寺の場合は、猫が涅槃図に描かれるのは少ないのに東福寺の涅槃図には猫がいること(同寺の画僧吉山明兆の作)や、百人が同時が使えるとかいうトイレ(重要文化財の東司のこと)などが七不思議に含まれています。
しかし、個人的に不思議に思えてならないのは、東福寺境内の地形です。
境内のほぼ中央に洗玉澗と呼ばれる渓谷が切れ込んでいて、通天橋から眺める洗玉澗の紅葉、もしくは臥雲橋から洗玉澗の紅葉越しに眺める通天橋が、東福寺全体の中でもとりわけ美しい紅葉シーンだとされています。通天橋の上からなら渓谷の底までは5mほどあって、紅葉の中に橋が浮いているかのようにも見える景色は、確かに秀逸です。しかし、なぜ境内に渓谷か?となってしまうのです。あるいはこんなに深く切れ込んだ場所の上になぜお寺が?とか。
そもそもJR東福寺駅や市バスの東福寺バス停がある北西方面より境内に進入すると、どこかで坂を登ったわけでもないのに、臥雲橋にさしかかるあたりでいきなり足下より低い場所に渓谷が現れる、その景色に接して初めてあれ?と不思議に思うのです。
東福寺がある場所には、以前には法性寺というお寺があって、これも大伽藍を誇っていたといいます。その法性寺の段階から、このように不思議な境内だったかも知れませんし、あるいはもともとは境内の外にあった洗玉澗を越えて堂宇群が建てられていった結果、境内に渓谷が含まれるようになったのかも知れません。そのあたりの正確はことはわかりませんが、境内に渓谷が流れる現在の地形は不思議と言えるのではないでしょうか。
もちろん、結果的にはそのことによって紅葉名所の東福寺が成立していることになるので、良しとしておきましょう。
ところで、東福寺の境内には通天橋と臥雲橋に加えて、もう1つ、偃月橋という橋があります。西から東に向かって、臥雲橋・通天橋・偃月橋が平行に並び、これらを総称して東福寺三名橋と呼ぶそうです。
このうち通天橋と臥雲橋は紅葉の関係から注目されることが多いのに対して、偃月橋はやや日陰の存在になっているところもあります。ところが、この偃月橋は三橋の中で唯一、重要文化財に登録されているのです。知名度では通天橋や臥雲橋の後塵を拝していますが、建造物としての価値でいえば抜きんでているといったところでしょうか。
そして本堂のあるエリアから偃月橋を越えた先にあるのが龍吟庵。東福寺に属する25塔頭の中でも第1位に置かれる塔頭であり、同庵の方丈は国宝に指定されています。
ちなみに日本百名山ならぬ百名橋という私的選定がかつて行われたことがあり、偃月橋はそれに選ばれています。
さて偃月橋の話が長くなりましたが、通天橋に戻りましょう。橋の役目は離れた二点を結ぶことにあるのだとすれば、通天橋の役目は本堂と開山堂を結ぶといったあたりでしょうか。
開山堂の前にある普門院は東福寺の開祖聖一国師の庵だったとも伝わるので、開山堂と並んで東福寺内では聖地扱いされる場所です。したがって通天橋は境内の聖なる空間に繋がる橋といった性格があったように思われます。
現代の観光目線でいうと、本堂から通天橋を渡ってからは洗玉澗に下りて渓谷の下から通天橋を見上げる景色を堪能というコースになるわけですが、より信仰の本義に近いところでなら開山堂や普門院の方が目的になるはずです。通天橋は、そのための大切な道程だったということでしょう。
なお普門院には枯山水の庭があり、庭園マニアが注目するスポットになっているようです。通天橋に入場制限が掛かる時季は、さすがに閑散というわけにもいきませんが、通天橋や洗玉澗の雑踏ぶりに比べるとのんびりとした雰囲気で庭が楽しめるそうです。さらに言えば、11月下旬のハイシーズンさえ外せば、瞑想もできるぐらいの静けさだとか。
清水寺の場合、本堂舞台の上がどれだけ雑踏に現れる状態だったとしても、子安塔まわりは、さほどの状態でもない、オフシーズンなら言わずもがなというのと同じ感じなのでしょう。