ラビリンス(迷路)のような空間を生み出す伏見稲荷の千本鳥居。海外でも人気の高いスポットで、訪れる外国人観光客は年々増えているそうです。そんな千本鳥居の由来や魅力について整理するとともに、もう一歩、稲荷大社の懐深く入りこむ「お山巡拝」や山中に置かれている神蹟についてのお話です。
伏見稲荷大社は海外で人気の高い日本の観光地、その筆頭格です。昔より多くの観光客が訪れていましたが、近年は外国人の比率が増えてきているのだそうです。そして浅草といえば雷門、清水寺といえば本堂舞台といった感じでの連想を訊ねると、伏見稲荷からは千本鳥居が導かれるのだそうです。
日本人であれば伏見稲荷というとキツネ様を連想しますが、海外の方にはビジュアルで分かりやすい魅力が強く響くのでしょう。
この千本鳥居は、江戸時代、伏見稲荷への信仰が庶民層にまで広がった際に始まったとされます。すなわち、お稲荷様に願掛けをして、その結願のお礼として朱塗りの鳥居を奉納するようになったのだそうです。
現在の千本鳥居、裏に記されている奉納年を見ると、昭和後半からごく最近の平成20年代ものまでのが目立ちます。古くなって倒壊の危険が出てきたものは取り外し、新しく奉納されたものに置き換えているのだとか。それでも、中には昭和初期のものや大正・明治の年号が確認できるものもあります。単に経年だけでは計れない何かがあるのでしょう。
さて、この千本鳥居がもっとも美しく見える時間帯はいつ頃でしょうか。その日の天候はもちろん、太陽光線の角度によって変わってきますので一概には言えません。それでも印象のレベルと言わせてもらうとすれば、昼下がりから夕刻にいたる前までの時間帯、陽射しが緩やかに感じられる頃合いのものが、朱色をもっとも鮮やかに引き立てているように思います。
近年は人気が高まっていますので、他の観光客に煩わされない千本鳥居の景観に遭遇するのは難しくなっていますが、万が一にでもそうした僥倖に出会えたとすればお稲荷様ラビリンスに迷い混んだような感覚を味わうことができるはずです。
ところで、本殿から千本鳥居まで歩を進めると、続いてそのまま、お山巡拝にも向かいたくなります。お山巡拝とは、標高233mの稲荷山山頂の上之社を筆頭に、山中に置かれた7つの祠(神蹟)を経めぐるものです。上之社に向けて段階的に迫り上がっているような地形と相まって聖なる秘所に向かう雰囲気を楽しむことができます。
千本鳥居を抜けた後、おもかる石のある奥の院を越して三つ辻、四つ辻を過ぎるとお山巡拝のルートとなります。巡拝の途上にある神蹟を四つ辻から左回りで列挙すれば、下之社、荷田社、中之社、上之社、長者社、御膳谷奉拝所、田中社となり、それぞれに謂われもあるのですが、ひとつを取り立てて紹介するとすれば、長者社の小鍛治宗近と小狐丸の伝説でしょうか。
小鍛冶宗近とは平安中期に活躍した刀鍛冶です。近頃は刀剣を擬人化したゲームが人気を博しているので、あえて説明をしなくても通じそうですが、要するに古代を代表する有名な刀匠です。祇園祭の前祭りで山鉾巡行の先頭を飾る長刀鉾、その頂に据えられる長刀も小鍛治宗近が鍛えたものと伝えられています。
その宗近が一条天皇より刀を鍛えるように命じられるのですが、相鎚(刀匠と呼吸を合わせて補助的に刃を打つこと)を打てる者がいません。勅命なので断ることもできずに困っていたところ、どこからともなく見慣れぬ童子が現れて相鎚を務めようと申し出ます。それで宗近が氏神である稲荷に詣でた後、鍛冶場に上がると先の童子が待ち構えていました。童子は稲荷の使いだったのです。
神の助けを得て鍛え上げられた刀には、小鍛治宗近の名前とともに神の使いである小狐の名前が刻まれ、小狐丸という名前で呼ばれるようになったのでした。
お山巡拝の神蹟、長者社は一名、御劔社とも言い、祠の傍らには剱石という巨岩が祀られています。伝説では、これは宗近が刀を鍛えるのに用いた石だとか、あるいはこの場所で小狐丸を鍛えたのだとかの話になっています。粟田口の合槌稲荷(小鍛冶氏の在所で宗近が信奉していたという稲荷社)、山科の花山稲荷(宗近が小狐丸を鍛える際に参拝した伝わる稲荷社)と並んで、名刀小狐丸ゆかりの場所となっているのが、この神蹟、長者社なのです。
最後に、秋の伏見稲荷について少し語っておきましょう。秋の魅力を紅葉の色づきに求めるのであれば、11月下旬になると表参道や本殿まわりの紅葉もちらほら目を引くようになりますが、お山巡拝のように山の中に踏み込んだ方が、より美しい紅葉が楽しめます。とりわけ、上之社の周辺は鮮やかに染まるスポットとしても有名ですので、伏見稲荷参拝の折は、ぜひお山巡拝まで足を延ばしましょう。