京都の紅葉は写真映りも上々。石段を覆い尽くす紅葉の朱、小川の水面に映える鮮やかな色彩、意匠もさまざまで美との出会いを地で行く思いもします。ただ、その一方で、保全や混雑緩和の目的から、三脚の使用はもとより、撮影そのものが禁止されている場所もあります。
写真の時代
清水寺、写真の見映えか資料的価値か?
秋の清水寺でインスタ映えを狙うのなら、鮮紅の中に浮かび上がる本堂舞台でしょう。よく試される撮影場所は奥の院からなのですが、実は奥の院を出て、数メートルばかり子安塔方面に進んだ場所の方がいいアングルになります。 ただし、ここで一つ、たいへん重要な問題があります。それは現在、清水寺は「平成の大改修」と呼ばれる工事を行っていて、被写体である本堂も屋根の葺き替え工事の真っ最中なのです(予定では2020年3月まで)。本堂全体が覆いのようなものを被っていて、無粋な姿はインスタ映えどころではありません。 とはいえ、50年に1度の大修理だからこそ撮影の価値があると考える方もいます。美しさより資料性を重んじるという発想です。これは、かなり特殊なケースですので、どう考えるかは各自でご判断ください。 [hr][/hr]安楽寺、めざせレッドカーペット!
紅葉の美しさを引き立てるスポットとして、東山の一角にある安楽寺を推すことに躊躇いはありません。構図的には、山門から伸びる石段を真っ赤な絨毯を埋めるようになる瞬間です。 しかし、これを撮影しようと思えば、夜の間に散った紅葉をお寺の方が掃き清める前に撮らねばなりません。つまり、夜が明けて周囲が明るくなった頃に現場にいないことには望む1枚は撮れないということです。 インスタ映えという言葉自体は軽々しく喧伝される昨今ですが、そんな軽々しさ相応の努力では安楽寺のレッドカーペットはなかなか撮ることができません。 [hr][/hr]哲学の道、ロケーションは最高でも意外と難しい会心の1枚
哲学の道の紅葉を対象にインスタ映えする1枚を求めるなら、桜の葉が赤みを増してくるぐらいのタイミングで、サクラモミジ(赤みを帯びた桜の葉)が疏水の上をゆらゆらと漂う構図でしょう。さらにいえば、写真映りのいい女性の方がひとり、憂いを漂わせて歩いているシチュエーション・・・・・・となると、モデルさんに頼んで人為的にセッティングをしないことには無理ですね。 と冗談はさておき、哲学の道はここかしこでインスタ映えする風景と出会いますが、観光客の多いシーズンにはなかなか好ましい写真は撮れません。どうしても他の方が入ってしまうからです。 哲学の道であることが分からないくらい、木の葉をクローズアップするとか、わざと遠景をぼかすとか、早い時間や遅い時間に訪れるとかの手がないわけではありませんが、写真になりそうでならないのが哲学の道だったりします。 [hr][/hr]神光院、偶然の出会いが珠玉の一枚に
有名どころは、そこが有名であるがゆえに他の観光客の方もたくさんいます。そうした方々との関係で構図が台無しになるというのも、よくある話です。 それに対して、観光目線での魅力は乏しいけど、たまたまの巡り合わせで美しい紅葉シーンと遭遇したというパターンは各所で起こりえます。 たとえば西賀茂の神光院。幕末の女流歌人大田垣蓮月尼が隠棲したというエピソードはありますが、有名な撮影スポットとして紹介されることはあまり聞きません。それでも、飾り気のない茶所のまわりなどは、木の葉の色合い、陽射しのタイミングがうまく重なれば、美しい1枚が撮れる場所です。 [hr][/hr]清滝川、錦雲渓の名に恥じぬ鮮やかさ
清滝川は、三尾のあたりでは錦雲渓という異名をもつことは別の記事でご紹介しましたが、愛宕山登山口となる清滝のあたりでも美しい秋の風景を見せてくれます。 京都バスの清滝バス停から愛宕神社二の鳥居に向かう途中で清滝川に架かる猿渡橋、その周辺は谷筋の木々が鮮やかに色づく場所なので、美しい写真が撮れるスポットです。紅葉のピークでも観光客が溢れるスポットでもないので、構図の設定はかなり自由に行うことができます。