京都の観光スポットを挙げる際に、意外と盲点になってしまうのが山科界隈。しかし紅葉シーズンなら、山科駅近くの毘沙門堂は確実にチェックをしておきたい場所です。石段を紅葉の絨毯が敷き詰める景色をはじめ、回遊式庭園の晩翠園や高台弁財天まわりの彩りは嵐山や東山の有名スポットに見劣りするものではありません。
その昔、東国へ旅するには東山を越えて京都を出ていました。江戸時代、旧街道と京の市街地を接続する地点に設けられたのが口と呼ばれる関所で、三条大橋の東にある粟田口はその名残の一つです。その粟田口のすぐ向こう側に広がるのが山科エリアです。
時代は下って昭和時代。昭和初期の1930年前後に行われた周辺地域の吸収合併は、大京都の時代と呼ばれています。かつての山科村が京都市内の一部となったのもこの頃であり、戦後には山科区として独立した行政区となりました。
こうした経緯もあってか、京都の市街地とは別地域のような捉え方もされてきた山科エリアですが、地下鉄東西線で繋がれた今日は、物理距離の隔たりはもちろん、気持ちの上での距離も少なくなっています。
そんな山科エリアには、毘沙門堂門跡を筆頭に、紅葉が美しく秋の見どころとなるスポットもたくさんありますので、まとめてご紹介します。
山科の秋を代表するスポットがこの毘沙門堂門跡。古くは京都御所の北辺出雲路にあったそうですが、江戸時代の初期に山科安朱のこの地で再建されて後、門跡寺院として崇められてきました。
現代の毘沙門堂は、春の桜、秋の紅葉と、自然が織りなす季節の演出が楽しめる場所として有名になっています。
SNS等に投稿される写真でとりわけ話題になるのは、本堂表門である仁王門に至る石段が絨毯を敷き詰めたように真っ赤に染まる情景です。落葉の鮮やかさには年ごとの差が出てきますが、綺麗に色づいた年なら、安楽寺の石段に勝るとも劣らない、秋の京都屈指のレッドカーペットとなってくれます。
また回遊式庭園の晩翠園は、まわりの木々が染まる頃には訪れる人を絶景のなかに誘ってくれます。宸殿前のシダレ桜(般若桜)、木立の中に建てられた高台弁天堂(高台寺より移されたという弁財天を祀る)と併せて、毘沙門堂の秋の見どころです。
ちなみに、晩翠園の池は、心という文字を裏返した形に作られています。寺院の庭園でよく見かける心字池は庭の景観に人の心を映し出すという思想を反映させたものと言われますが、裏心字池は裏の心を見せるものなのでしょうか。
山科界隈、毘沙門堂近くの見どころで、もう一つ忘れられないのが山科疏水。明治時代に築かれた巨大水路、琵琶湖疏水のうち、山科エリアで地上に現れる部分が山科疏水です。
水辺に緑地が整備されて春には桜と菜の花が美しい場所として知られています。こうした桜スポットは、秋には桜の葉の色づきが楽しめるのですが、桜の時季に比べると周知が及んでいないので、穴場の紅葉スポットとなっています。
さらに毘沙門堂よりまだ山際に入った先にある山科聖天こと双林院も、境内の紅葉が美しく映える割には、ピーク時でも観光客の少ないスポットです。
隨心院は小野小町旧邸と伝えられる場所で、小町ゆかりの場所として知られています。
秋の見どころでは能の間前に広がる心字池の紅葉であったり、小町梅園で梅の木の葉が色づいた情景などです。
春の景物である遅咲きの梅(はねず梅)やふすま絵などの室内装飾で紹介されることが多い隨心院ですが、秋の景観も楽しめるスポットです。
勧修寺は、氷池園と呼ばれる回遊式の庭園が見どころの古刹です。由緒は創建が平安時代に遡るなど古いのですが、戦禍や為政者による圧迫など苦難の歴史が続いたことも知られています。
そうした歴史にもかかわらず、現在に広大な庭園を伝えているのはある種の奇跡かも知れません。枝垂桜やカキツバタがよく紹介されますが、氷池園の広さ相応に秋の紅葉を楽しむこともできます。
なお勧修寺の名前とともに紹介される機会が多いのが、勧修寺型灯籠と呼ばれる矩形を基調とした灯籠です。命名の由来となった勧修寺の一基は、水戸黄門こと徳川光圀が寄進したものと伝わっています。大きな笠と丈の低い灯籠が灌木の中でかくれんぼうをしているように見えるさまは、ユーモラスな雰囲気さえ漂わせています。
山科の地域史を語る上で必ずと言っていいほど取り上げられるのが、大石良雄がこの地に隠棲して仇討ちの機会をうかがっていたという伝説ではないでしょうか。歌舞伎の仮名手本忠臣蔵を通して喧伝された部分もありますが、赤穂義士の忠義を称えるべく、昭和の初期、大石隠棲地の近くに創建されたのが大石神社です。
観光面で広くPRされるのは12月14日の山科義士まつりや、境内に植えられたご神木の大石桜が花開く頃の桜まつりですが、他の桜名所と同じく、大石神社でも桜葉の色づく時季は見逃せません。