稲荷信仰の総本山に見られる新しい潮流とは?、外国人旅行者の目に映る伏見稲荷の姿を探る

近年、伏見稲荷大社界隈の雰囲気が変わりつつあります。昔から多くの参拝者が訪れる場所だったことには変わりませんが、最近の賑わいは海外からの観光客によるところが大きくなっている気配です。その視線の先にあるのは、古くからの稲荷信仰ではなく、千本鳥居に代表される幻想的にして色鮮やかなアートの世界のようです。

伏見稲荷大社は、日本人が古くから抱いてきた稲荷信仰の総本山となるお社です。神社の伝承によれば奈良時代の和銅4年(711年)、国史に確認される稲荷という文言でいえば天長4年(827年)の記事と、創建を探っていけば優に1000年を越える由緒が見えてきます。 この伏見稲荷もご多分に漏れず、応仁の乱による戦禍を被り、大きく衰退しますが、豊臣秀吉の時代に復興を果たします。また江戸時代に入ってからは市井の町人や商人の篤い信仰を集め、結願のお礼に赤い鳥居を奉納する習慣も広まっていきます。これが現代に続く千本鳥居の起源です。京都の下京界隈の商家が軒並み、伏見稲荷の氏子となっていたこともあり、稲荷信仰は京都の地に深く根を下ろします。

ワールドワイドな新しい眼差し

伏見稲荷大社の歴史を振り返ると、このように創建を求めれば確定も覚束なくなるくらいに古く、近世以降の信仰をみれば習俗の域に達するくらいに根強いものとなっていることがわかるのですが、これらとは別に、近年は観光目線でのアプローチが盛んに行われています。京都の街全体が世界的にも注目される観光都市となった影響もあり、京都を代表する神社仏閣の一つとして伏見稲荷が海外の目にもよく留まるようになっているのです。 しかし、海外の人たちが捉える伏見稲荷の姿は、古くからの日本人が抱く稲荷信仰とは別物であり、壮大な本殿建築や幻想的とも表現される千本鳥居の美しさといった、ビジュアル性の高い方面に集中しています。 海外の旅行会社がアンケート形式で集計した人気投票では、伏見稲荷は京都だけでなく日本国内での最高位の評価となっています。そこでは日本的感覚とは異なる基準が働いているようです。もちろん、こうした海外からの熱い視線を否定的に捉える必要はなく、日本的感覚が見落としていたものを教えてもらうという方向で考える方がよさそうです。 千本鳥居の美しさについても、従来よりその指摘がなかったわけではありませんが、シンメトリックな造形美を強調するなどのアプローチは近年に見られるようになった際だった特徴でしょう。事実、よく晴れた日の昼下がり、柔らかい陽射しのもとで千本鳥居の中に踏み込むと、合わせ鏡の間に入ったかのような不思議な感覚に襲われることもあります。 とはいえ、いいことばかりではなく、過剰な人気の結果、清水寺の本堂舞台や哲学の道がそうであるように、場所自体は秀逸でも、他の観光客との関係で興ざめを味わうことになる場合もないではありません。望むらくは、朱色の方形が遮られることなく奥の方までずっと伸びる光景に遭遇したいのですが、何らかの形で攪乱者が割って入ってくるというのが昨今の傾向です。

3様の参拝コース

この伏見稲荷の参拝順路について整理しておきましょう。基本は、長い参道を歩いて一の鳥居、二の鳥居をくぐる、そして石段上の楼門を抜けて拝殿および本殿前へ、そこで手を合わせて参拝を済ませ、左手の神幸道からお戻りくださいませという形です。この神幸道に沿って稲荷名物の伏見人形やキツネのお面など各種お土産を商う店が並んでいますので、いつ頃からそう呼ばれるようになったのか、このあたりを屋台街と紹介するガイドブックもあります。 ところが上に紹介した表参道〜神幸道のコースを見れば、すぐに分かるように、肝心の千本鳥居が含まれません。千本鳥居こそが伏見稲荷の眼目と考えている人にとっては、この順路説明は不十分極まりないということになります。 実は、上のコースは初詣の時に順路として示されるもので、千本鳥居に向かう場合は本殿前から神幸道とは逆方向の山側に進み、末社の玉山稲荷に突き当たったところで右に行くことになります。千本鳥居を抜けた先には、稲荷山の山頂におかれた祠にお参りするお山巡拝の道が続きます。 このように伏見稲荷の参拝は、初詣バージョンが最短コースで、ここに千本鳥居を加えたもの、さらにお山巡拝を加えたものと順に距離が伸びることとなります。ちなみにお山巡拝は成人男子の足で1時間半から2時間程度を要します。石段の道を延々と登り詰め・下り詰めになりますので、歩き慣れをしていない人には厳しいかも知れません。その場合は、千本鳥居だけでの折り返し(千本鳥居は2列になっていますので、片方を最後まで歩いたあと、もう一方を帰路に宛てることができます)も可能ですが、せっかくのお参りですので、紅葉への期待も含めて山上まで頑張るのがいいでしょう。