秋の京都を演出するのは、自然の景観だけではありません。紅葉の季節に合わせた祭儀やイベントが各所で催され、訪れる人たちを楽しませくれます。嵐山のもみじ祭など半世紀の歴史を誇るものもあれば、その地を愛した故人を偲ぶ法要などもあって、スタイルはさまざまでも、どれも秋の彩りに一花添える役割を果たしています。
秋の京都で行われる祭事といえば、神輿の繰り出して豊穣を祈る北野天満宮のずいき祭りや大燈呂が目を惹く粟田神社大祭を思い浮かべますが、イベント性が強調される行事という形で範囲を広げると、さまざまなものがリストに挙がってきます。
秋季に行われる祭りとして、もっとも有名な時代祭でさえ、平安神宮の例祭であるという捉え方ではなく、忠実に再現された風俗行列を見せるイベントだと言ってしまえば、あながち外れているわけではありません。祭祀は非日常のカーニバルだという意見もあるくらいなので、もしかすると、宗教的な厳かさを残した祭事と集客意図が前面に出た行事とは、それらを積極的に区別する意味は、もともと薄かったのかも知れません。
ともあれ紅葉を愛でるイベント性の高い行事という方向から、京都の秋の祭りを眺めていきましょう。
11月の第2日曜、嵐山の紅葉を称え、大堰川に浮かべた船の上より歌舞や能楽の披露が行われます。終戦直後の昭和22年より始まり、現在は嵐山保勝会がおこなっている行事で、秋の紅葉イベントの中で最も有名なものと言っていいでしょう。
2017年のチラシには箏曲小督船、今様船、嵯峨大念仏狂言船、平安管弦船、東映太秦映画村船などのラインナップが記されています。
また協賛行事として大堰川畔で野点や島原太夫の道中が行われるなど、錦秋の1日をさまざまな趣向で演出してくれます。
ここに登場する小督について少し触れておきましょう。小督は平安時代末期に高倉天皇の寵愛を得た女房です。しかし高倉天皇にはすでに中宮がおり、小督は中宮徳子の父、平清盛を恐れて嵐山に身を隠すのでした。高倉天皇の命を受けて小督捜索にあたっていた藤原成範が、小督が奏でる想夫恋という箏曲に導かれて彼女と出会うシーンは、謡曲など後の時代の芸能にも取り入れられています。この小督のケースのように、嵐山もみじ祭りは、その登場人物のエピソードを知れば、楽しみ方も格段に深まってきます。
11月の第2日曜日、嵐山もみじ祭りと同じ日に、同じ嵐山界隈で行われるのが清涼寺の夕霧供養です。
夕霧とは寛永期(1630年代の前後)の大坂で人気を博した遊女です。遊郭での最高位格である太夫にまでのぼり詰め、歌舞伎や浄瑠璃で主人公になるくらいの存在でした。
このあたりの事情を現代風にいうのなら、ネットやローカルで話題になっていたご当地アイドルが、全国放送のテレビドラマや映画でヒロインに抜擢されるようなものでしょうか。現代とは社会の事情も文化も違いますので単
純な比較はできませんが、吉野太夫や高尾太夫らとともに、江戸時代前期の風俗を語るうえでは外すことのできない女性です。
その夕霧太夫の生家は清涼寺塔頭の檀家だったとの説もあり、清涼寺が毎年の供養を行っています。
ちなみに、この夕霧供養には現在の島原太夫が参加しているのですが、清涼寺本堂での法要と三門までのお練りが終わった後に、大堰川での嵐山もみじ祭りに参加して島原道中を演じることとなっています。
円山公園の奥にある長楽寺では、毎年11月23日に久寿扇祈願会と併せて紅葉祭りが行われます。久寿扇祈願会は長楽寺の宗派である時宗と深いゆかりのある京扇子を顕彰する行事であり、同時開催の紅葉祭りは頼山陽ら長楽寺を愛した故人を偲びつつ境内の紅葉を観賞する行事です。
頼山陽は、江戸時代後期の文人で幕末の尊皇攘夷運動の起爆剤となった人物です。彼が著した日本外史は時代の歴史認識を変えるベストセラーとなり、下の世代に多大な影響を与えたのでした。
尊皇思想は、水戸藩の藤田東湖らが理論的に完成させたものですが、情念の部分では頼山陽の影響が深く浸透しています。
ちなみに、長楽寺の境内には頼山陽をはじめ、息子の三樹三郎(安政の大獄で斬首)の墓があります。
延暦寺では比叡のもみじと銘打って、11月の紅葉シーズンにイベントを行っています。
比叡山の山中に点在する延暦寺の堂宇群は、東塔・西塔・横川に分かれるのですが、比叡のもみじが催されるのは、魔除けの角大師でお馴染みの横川エリアです。
期間は、2017年の場合は11月2日から11月23日で、期間中には至福大根炊きや無料抽選会などが催されました。
屋根の上に御幣を持った猿がいることで有名な赤山禅院は、秋には境内の紅葉が美しくなることでも知られており、紅葉寺との異名も持っています。この紅葉寺こと赤山禅院でも紅葉シーズンにはお茶所が設けられるなどのイベントが催されます。