今出川通の北白川、銀閣寺へ続く交差点角に安置された大きな石仏。高さ約2mもある観音様で「子安観世音(こやすかんぜおん)」と呼ばれ、鎌倉時代に造られたものと伝わります。 観音様は気ままに動き出すといわれ、安土桃山時代にその噂を聞きつけた豊臣秀吉公が、観音像を自分の近くに置きたいと聚楽城に連れて帰ったと伝えられています。
すると、その日以降、夜になると観音様が「北白川に戻りたい」と訴え出し、降参した秀吉公が元の場所に戻したという伝説が残されています。秀吉公ゆかりの観音様であることから、「太閤の石仏」とも呼ばれています。
職業婦人・白川女ともゆかりが深く、今も花が手向けられています
白川女は今も行商に出る際は献花を欠かさないそうで、観音様の前には常に色とりどりの花が供えられています。
地域の人々の信仰も厚く、圧倒的な存在感を放っています
江戸時代後期に刊行された「拾遺都名所図会」にも記されたという子安観世音。圧倒的な存在感を放ちながらも地域に溶け込んでいます。長い歳月によって風化が見られるものの、豊臣秀吉公も拝んだ観音様が今も同じ場所で地域の子どもたちや人々を見守っているなんて感慨深いですね。
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子安観世音(こやすかんぜのん)
●京都市左京区北白川西町