関西一円を見まわして滝が引き立てる紅葉名所というのなら、まずは箕面大滝が挙がります。それに匹敵する滝が京都にないものかと探してみると、なんとも心許ない。音羽の滝や音無の滝など、滝と名の付くスポットはあるにしても、滝名所というにはほど遠いのが現実。それを認めたうえで、もう一度、京都の滝を検証してみると・・・・・・
紅葉が山肌を彩る自然のお化粧だとすれば、紅葉の色づきによって引き立てられる自然地形があっても不思議ではありません。たとえば流れ落ちる飛瀑(大きな滝)が紅葉の朱とのコラボレーションを見せるとすれば、自然のスペクタルとでも言いたくなるところです。
ところが、実は京都にはそうした滝は、ほとんど目に留まりません。滝がないと言っているわけではありません。清水寺には音羽の滝がありますし、三千院の奥には音無の滝があります。嵐山方面に目を向けるなら、松尾大社には霊亀の滝というものがあります。
しかし、どれをとっても、落差も大したことがなく、紅葉との取り合わせが注目されるタイプのものではありません。
紅葉と滝というだけで、すぐに箕面大滝のような30メートル超を期待するのが間違っているのでしょうか。たとえそうだとしても、大阪の箕面大滝だけでなく神戸には紅葉との取り合わせで注目される布引の滝があるのだから、それに比べて京都には、となってしまいます。
音羽の滝は言うに及ばず、音無の滝にしても霊亀の滝にしても規模も小ぶりなら紅葉とのコラボも期待できそうにないので、やはり他の滝名所と比べるなら京都は条件が良くありません。
紅葉スポットとして名高い三尾や清滝方面に目を向けると何かあるかも知れないという期待も抱きますが、滝があるにはあっても、どういうわけか紅葉との相性は宜しくない模様。愛宕山の山麓にある空也の滝(約15メートル)ですが、そこそこの水量があるのに紅葉による装いは耳にしません。清滝川が紅葉スポットとして名高いだけに、違う意味での落差を感じてしまいます。
それでは鷹峯の菩提の滝はどうでしょうか。北山杉ゆかりの山の中にある隠れ滝です。高さはそれほどでないにしても水量は十分にあります。ところが、紅葉という点ではやや苦しくなるのも事実です。美しい秋色ではないにしても、広葉樹系の茶褐色までを紅葉の範囲に含めるのなら、一応は合格点を出すこともできなくはないでしょう。それでも箕面大滝や布引の滝のスケールや美しさとは次元が違っています。
こうして眺めていくと、観光的な案件のたいていはクリアしてしまう京都でも、スケールの大きな自然地形が問われるケースになると、手薄感は否めないというのが結論のようです。もちろん、得手不得手の問題だといえば、それまででしょう。紅葉の激流を船で下る保津川下りなどは、大阪や神戸では体験できないタイプですし、神社仏閣の庭園など歴史空間に映える紅葉となると、やはり京都に一日の長はあります。紅葉に彩られる滝が存在しないとしても、それはたまたまそうなっただけと言っておけばいいだけであって、京都には京都にしかない、他の魅力がたくさんあります。
さて、これで今回のお話は一段落ということになりますが、せっかく滝の話が出たので白川の滝について少し触れておきましょう。江戸時代に刊行された地誌『都名所図会』の「北白川」の挿絵には、まるで箕面大滝を思わせるくらいの大滝が描かれています。いったい、この滝はなにものなのかというところから調べていくと、和歌にたびたび登場する「白川の滝」のようなのです。
ところが、この滝が実在の自然地形だったかどうかと言うところを追っていくと、かなり覚束ない、というもの、もともとは某貴族の庭に作られた遣水を詠んでいたような気配なのです。具体的な実景ではなく、抽象的な言い換え(ストレートにはその貴族の邸宅を指す)で用いられた言葉に過ぎず、突き詰めて言えば言葉遊びとして「白川の滝を見てみたい(=お宅にお邪魔したい)」という表現になったようなのです。
たったそれだけのことであるにもかかわらず、和歌で用いられたその言い回しが広く受け入れられるようになり「白川の水」「白川の里」などの形にアレンジされ、白川という川はどんどん実体化されていきました。
和歌で特徴的に用いられる地名のことを歌枕といいます。歌枕の世界では、それが実在のものかどうかは常に問われることなのです。
現代の京都には白川という名前の川が実在しますが、古典和歌に詠われた白川とは別物です。古典和歌の白川は空想の川が人々の頭の中だけで実体化したものであって、先に触れた『都名所図会』の挿絵に描かれた大滝はそれをビジュアルに表現したものと言っていいでしょう。言葉の上だけで存在していた、いわば観念的な滝があたかも実際の滝であるように描かれたということです。