賀茂川と高野川が合流して鴨川と名前を改めるスポットが出町柳。かつては学生街としての賑わいもあった場所で、通称「鴨川デルタ」では往時の記憶をつなぐ学生たちが、春の新歓などの野外コンパも時折催しています。時代が移りゆく中で場所のイメージも変遷、現在では京都では有数のアニメ聖地?と目されるに至っています。
2018年9月4日の台風21号によって高野川に掛かる出町橋西詰の柳の木が折れてしまいました。
柳といえば、のれんとともに、強い風に対しても自らをしならせてその力をまともに受けないようにする代名詞にも使われます。そうすると一般の人にすれば、風にしなるはずの柳でさえ折れてしまう桁外れの強風だったんだなと、風の強さを思うかも知れません。
しかし、京都で暮らしていると、折れた方の木について強い衝撃を受けた人もいます。というのは、件の柳は数ある木々の1本ではなく、出町柳の由来となるシンボリックな1本だったからです。
出町柳という地名は、街区を出るところに目印の一本柳が立つ場所という意味で、出町橋西詰の柳がまさしくその柳だったわけです。古くから語られていた木ではなく、何代目かのものでしょうが、それでもシンボリックな1本だったことには変わりありません。
京都御所の北辺に位置する今出川通が鴨川に突き当たる場所が、いわゆる出町柳です。現在では一本の橋(賀茂大橋)で鴨川を越えるようになっていますが、古くはもう少し上流で賀茂川と高野川の2つの川を2本の橋で越えており、街区に近い方が出町橋でした(橋の名前については、現在の葵橋とは別に出町橋が葵橋と呼ばれていたこともあります)。
この2本の橋を越えて百万遍知恩寺から志賀街道方面に向かったり、大原から若狭へ、いわゆる鯖街道方面に向かったりしていました。出町柳はこうした形で、長い間、京都の市街地の出入り口だったわけですが、交通の形態が変わり、道路事情が変わることで雰囲気も変わってきました。
現在では、大阪に向かう京阪線の始発駅のある場所と思う人が多いでしょうか、それとも一乗寺や岩倉、八瀬方面に向かう叡山電鉄の始発駅を連想する人が多いでしょうか、いずれにせよ主要鉄道便の始発駅というイメージが強くなっています。
またそれとは別に東に京都大学、西に同志社大学があることで学生街の一角というカラーも定着しています。数十年前までは立命館大学も近くにあり、まさに京都を代表する学生街が出町界隈でした。
現在では通学する学生数の多さから京都大学のお膝元である百万遍界隈がシンボリックな学生街と見なされています。しかし京都大学・同志社大学・立命館大学のトライアングルが形成されていた頃は出町界隈の方が学生を対象としたお店も軒を連ねていたのでした。
さてそんな出町柳の見どころを並べるなら、真っ先に挙がるのが「出町の三角州」です。賀茂川と高野川が合流する部分に形成されている三角形の台地に対する通称です。地理学的にいう三角州は大きな河川が海に出る河口に形成される堆積土の地形なので、正確な意味での三角州ではありませんが「出町の三角州」「出町のデルタ」などの通称がまかり通っています。実は、高野川と賀茂川が合流するこの場所には糺河原や出町の剣先などの呼び名もありました。ところが今ではそちらの方が通じなくなっているようです。
大文字山を真っ正面に見上げるロケーションで、ちょっとしたピクニック気分が楽しめるスポット、春ならお花見、暑い季節なら水遊びのできる場所として人気を博しています。
もう一つ、この界隈でピックアップされるのが、昔ながらの雰囲気を残していることで人気の出町枡形商店街。アニメ(「たまこまーけっと」「有頂天家族」)の舞台にもなり、いわゆる聖地巡礼の対象となった場所です。ちなみに出町デルタで高野川や賀茂川を越えるための飛び石は「けいおん!」のオープニングでも採用されているので、界隈全体がアニメファンにとって親和性の高い場所となっています。また近年は枡形商店街の一角にミニシアター系の映画館「出町座」がオープンしてサブカルチャー方面での強い発信力を持つようになっています。
こうして眺めていくと、出町界隈は東山や嵐山のような紅葉スポットとして認知される場所ではありません。しかしエリアを広めに考えるなら京都御苑も近傍に入ってきます。京都に暮らしている人なら建造物だけでなく、御苑全体を「御所」の名で呼び習わしていますが、御所をカウントすればあらゆる季節色が含まれますので、出町界隈に紅葉の楽しみがないわけではありません。もちろん一面のイロハモミジやオオカエデが赤々と染まる印象こそが秋の醍醐味というのも頷けます。しかし、それはそれとしておいて、鴨川を吹き抜ける秋風や過ぎゆく学生さんたちの姿格好に季節の移ろいを感じるのもまた一興なのではないでしょうか。