寺田屋へ幕末の歴史の爪痕を見に行ってみませんか

京都-寺田屋出典:寺田屋事件-Wikipedia

寺田屋事件という言葉を聞いたことがありますか。この事件は寺田屋という宿で幕末に起きた出来事で、京都伏見にこの寺田屋を見に行くことができます。学校の歴史の教科書にも出てくる有名な事件ですので、子供たちと一緒に知識を深めに訪れるのもおすすめです。それでは、寺田屋をご紹介していきます。

寺田屋出典:寺田屋の写真一覧 – じゃらんnet
寺田屋とは日本の歴史の中で今も伝わる二つの事件の舞台となった場所で、藩士たちが宿泊をしていた旅籠です。現在見られる寺田屋は明治になって再建されたもので、事件の舞台となった寺田屋は鳥羽伏見の戦いの激しい戦火の中焼失してしまいました。寺田屋の中には坂本龍馬や維新の中心人物たちの資料が沢山展示されており、建物自体に当時の面影や雰囲気が残っているので、人気の観光スポットになっています。また、現在でも旅館として営業されているそうです。

2つの寺田屋事件

2つの寺田屋事件は、日本の歴史上混迷した時代に日本を背負って必死に生きた人々が起こし、巻き込まれた事件です。詳細を知って寺田屋を訪れると一層心に響くものがあります。二つの事件の概要を紹介しますので、もし興味のある方は書籍やインターネットなどで事件や登場人物について調べてみてください。[hr][/hr]

S1862年(慶応4年)の寺田屋事件

この寺田屋事件は別名寺田屋騒動と言われ、当時薩摩藩の事実上の指導者であった島津久光と精忠組という政治グループに所属する有馬新七の間に起った粛清事件です。過激派であった有馬新七らは島津久光が薩摩藩兵一千名を率いて攘夷を企てるのではないかと誤解し、テロを起こそうとします。実際には島津久光に討幕の意思は全くなく、その誤解を解こうと寺田屋で話し合いが開かれるのですが、いつしか言い合いとなり激しい切り合いへと発展してしまうのです。この事件でこの騒動の中心人物である有馬新七は命を落とします。[hr][/hr]

1866年(文久2年)の寺田屋事件

この寺田屋事件は別名寺田屋遭難とも言い、幕府の伏見奉行によって坂本龍馬が捕縛または暗殺されかけた事件です。この事件は、当時薩長同盟の斡旋をした坂本龍馬が薩摩人として身分を偽り、長州人数名と寺田屋に宿泊していた際、深夜2時ごろに事件が起きました。入浴中だった坂本龍馬の妻・お龍が伏見奉行の命令でやってきた30人ほどの捕り方の存在に、気づき裸同然の姿で坂本龍馬に危機を知らせます。そのお陰で何とか無事に坂本龍馬は逃げることができるのです。この翌年に坂本龍馬は近江屋事件で暗殺されてしまいます。

寺田屋の所在地・アクセス

寺田屋出典:寺田屋の写真一覧 – じゃらんnet
所在地:京都府京都市伏見区南浜町263電話番号:075-622-0243アクセス:京阪電車本線 中書島 徒歩約5分市バス 京橋 徒歩約1分近鉄電車 桃山御陵前 徒歩約10分拝観時間:10:00~15:40拝観料金:一般 400円 中高大学生300円 小学生200円     ※幼児の入館はできないとされています。[hr][/hr]

まとめいかがでしたか。今の日本があるのも、時代時代を必死で生き抜き、未来を切り開いてきた人々がいるからです。京都には観光スポットが沢山ありますので、伏見稲荷大社など伏見区の観光と合わせて、幕末を命がけで生きた人々のについて学びに寺田屋を訪れてみてはいかがでしょうか。