詩仙堂は、正しくは「凹凸窠(穴冠に果)」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠(穴冠に果)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。 凹凸窠の中心には、江戸時代の絵師、狩野探幽(1602年~1674年)が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上には、石川丈山が隷書体にて記した漢詩が書かれています。 石川丈山(1583年~1672年)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将・文人です。祖先は、源義家の第六子義時と伝えられ、曾祖父以来、徳川家に仕える譜代の家臣の家柄と言われています。 1600年(慶長5年)丈山が18歳の時には関ヶ原の戦いに赴き、家康公に対し忠誠心を持って勤めていたと伝えられています。慶長20年(1615)の「大坂夏の陣」までは徳川家康に仕えた武士で、その後、江戸時代初期を代表する文人となりました。一乗寺の名刹・詩仙堂は、もともと丈山が人生の後半に隠棲した山荘で、寛永18年(1641)に造営されました。その中の一室「詩仙の間」から「詩仙堂」とよばれるようになり、昭和3年(1928)に史跡に指定。昭和41年(1966)に曹洞宗の寺院となりました。 詩仙堂の御本尊は、馬郎婦観音(めろうふかんのん)です。 所願成就・学業成就に御利益があると言われています。 馬郎婦観音の言い伝えは、唐の時代、憲宗元和4年(809年)。今から1200年以上前の中国、唐の時代にまで遡ります。
目次
100種ほどの草花が植えられ、サツキの刈り込みも美しい「唐様庭園」
こぢんまりとした茅葺きの草庵を思わせる表門「小有洞(しょうゆうどう)」をくぐると、清涼感あふれる竹林に囲まれた石段が続きます。
石段の先にはもうひとつの門「老梅関(ろうばいかん)」があり、その先に山の斜面や谷間を利用して造られた「唐様庭園(からようていえん)」が姿を現します。白砂に梅、アヤメ、藤、丈山菊、紅葉といった花や草木が四季折々に咲き誇り、サツキの丸い刈り込みも美しい回遊式庭園。小山や茶室、「僧都(鹿おどし)」などが絶妙に配置され、見る場所や角度によってさまざまな風景を楽しむことができます。また秋の紅葉の時期には、書院の座敷から見るカエデの紅葉とサツキの緑、傍らにはススキ、白砂のコントラストが美しい風景を演出してくれます。庭園を散策しながらの眺めも息を呑むほどの景観です。
鹿おどしの元祖「僧都(添水)」発祥の地といわれています
今や多くの日本庭園などで見られ、竹筒が岩を打つ音が庭に響く鹿おどし。山から詩仙堂の庭に下りてくる猪や鹿をおどかすため、丈山が考案して設置した「僧都(そうず)」が元祖といわれています。「僧都」の由来になったのは、かつて、農民のために案山子(かかし)の役目を引き受け、鳥獣を追い払う仕掛けも作ったといわれる高徳の僧・玄賓僧都(げんぴんそうず)の故事から。転じて「添水」とも書き、「鹿おどし」と呼ばれるようになったのは昭和期に入ってからとされています。
わずか4畳半の「詩仙の間」に詰め込まれた丈山の美意識
「詩仙の間」と建物の一部は造営当時の姿を残しています
文武両道に生きた丈山の美意識と世界観がしのばれます
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詩仙堂(しせんどう)
●京都市左京区一乗寺門口町27
●電話番号075-781-2954
●アクセス 市バス停一乗寺下り松町から徒歩7分
叡山電車「一乗寺駅」下車 徒歩約15分
●開門時間 午前9時~午後5時(受付終了午後4時45分)
拝観休止日:5月23日
●拝観料:大人500円 高校生400円 小中学生200円
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、拝観は3月7日(日)まで休止。 拝観再開は3月8日(月)を予定しておりますが、緊急事態宣言の短縮・再発令、感染状況によっては、変更の可能性もございます。
※今年(2021年)は新型コロナ感染症の影響から感染防止等の観点により 各寺社や観光スポットの営業(拝観)時間や催しの変更や中止などの可能性があります。 直前の変更・中止などもありますので詳しくはホームページ等でご確認をお願い致します。