出典:落柿舎 – Wikipedia
なんとも言えない日本古来の美しさの象徴とも言えるのが落柿舎です。その佇まいは、まるで現在から過去へとタイムスリップしたかのように思わせてくれます。落柿舎の前は、畑が広がっており、畑の中にぽつんと風情溢れる庵が建っています。嵯峨野の山々に囲まれたこの静かな場所は、訪れた方であれば素敵な俳句が読めそうな気さえ湧いてきます。松尾芭蕉の弟子である向井去来ともゆかりある落柿舎の魅力や歴史について、詳しく紐といていくとしましょう。
落柿舎の歴史とは
出典:落柿舎 – Wikipediaこの落柿舎は1688年~1704年の元禄の俳人である向井去来の遺跡になります。元々この落柿舎は京都の富豪が建てた別荘であったと言われています。それが時は流れ、俳句界では知らない人はいない松尾芭蕉の弟子である向井去来が譲り受ける事になりました。その当時は、華美な佇まいでしたが、去来が取り壊し、今の様な簡素な草庵に建て替えられたのです。最初は、この別荘の事を捨庵と呼んでいたと言われています。それが落柿舎になった理由は、庭にあったとされる40本の柿の実を商人が買い入れを決めてお金を払って帰りました。しかし、突風のせいで、一夜にしてその柿の木についていた実がすべて落ちてしまいます。次の日に、商人は見事すべて地に落ちてしまった柿を見て、驚きお金を返して欲しいと言います。そこで、去来は前日のお金を返しました。言わば商売が失敗してしまった話から去来が自ら落柿舎と言うようになったと言われています。これがこの落柿舎の由来と言われています。さて、去来が落柿舎を始めたのは、1687年より前と言われています。この落柿舎を松尾芭蕉が初めて足を運んだのが、元禄2年の1689年の事になります。その後も3度こちらに来庵したと言い伝えられています。その中で元禄4年の1691年4月18日~5月4日までその場に留まり、嵯峨日記を書いたと言われています。今の建物は、1770年に再建された物になります。その時すでに、去来のお墓はここにあったと言われています。[hr][/hr]
落柿舎の魅力は
嵯峨日記を書き上げたと言われている庵は、松尾芭蕉のお気に入りの場所でもあったと言われています。その庵の外装は今も尚、見事な茅葺の屋根になります。紅葉の季節になると、この庵とその周りの木々が作り出す秋の景色は、静寂の中の美しさと言えます。また次庵では、句会席と呼ばれる俳句会を一般の方も開く事が出来るスペースもあります。またお庭には、日本の庭と言えばイメージできる鹿威しなど、現代の日本ではない場所へ訪れている感覚を楽しむ事が出来ます。[hr][/hr]落柿舎の御朱印
こちらで頂くことが出来る御朱印は、2種類になります。どちらも受付で頂く事ができ、書置きになります。[hr][/hr]落柿舎のアクセス
こちらに行くにはバスか電車で行く事が出来ます。バスで行く場合は、京都駅から所要時間50分になります。JR京都駅中央改札口を出て、目の前がバスターミナルになります。そこでD3乗り場より28号系統の嵐山・大覚寺行きに乗車しましょう。嵯峨小学校前で下車します。京都駅からは、30停留所目になります。そのバス停から徒歩9分程で到着します。電車の場合は、京都駅から所要時間33分になります。JR京都駅の32番線、亀岡方面行きに乗車します。下車駅は、6つ目の嵯峨嵐山駅になります。そこから徒歩17分程で到着になります。行き方としては、電車の方が近いのですが、バス停からの距離がある為、その日の1日のプラン等を考えて、アクセス方法を変えてみてもいいでしょう。[hr][/hr]落柿舎の詳細
■住所〒616-8391 京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20■電話番号075-871-1880■公開時間午前9時~午後5時(3月~12月)午前10時~午後4時(1月~2月)■休日12月31日、1月1日■拝観料大人250円、大学生250円、中高生150円、小学生無料■駐車場なしぜひ京都へお越しの際は落柿舎に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?