
縁結びのお願い、人がそれを心から求めているからでしょうか、それとも軽い気持ちでお願いできるからでしょうか、理由は定かではありませんが、願掛けの中でも人気ナンバーワンのジャンルです。京都にも多い、そんな縁結びのお宮さんをエピソードを交えてどーんと大公開!
いつの間にか恋占い〜地主神社の謎
 清水寺の境内社に地主神社というお宮さんがあります。狭い境内には、「恋占いの石」と呼ばれる石があって、修学旅行で訪れた生徒さんにも人気のスポットです。曰く、境内にある二つの石、片方から他方まで目をつぶったまま歩くことができれば恋愛が成就する云々。ちょっとした遊び感覚で試せることもあって、いつも誰かがチャレンジしているようです。面白いのは、この石に関する記述は江戸時代の地誌にも見られ、そこでは片方から他方までは目をつぶって歩くと到達できない、となっていることです。いわゆる七不思議の類いのように、清水寺にまつわる不思議現象としての紹介なのです。それがいつの間にか「到達できない」が「到達すると幸いに恵まれる」になり、さらに「到達すると恋が叶う」へとアレンジされていったのでした。江戸時代に出版された巷間小説には、地主神社の境内は男と女の出会いの場であるような描かれ方をしているものもあり、縁結びの要素が付いたことをあざとい商魂のように言うのは当たっていません。しかし、無色透明な幸運というよりは、縁結びの側面を強調した方が注目度は上がるのでは?ぐらいの思惑があったのではないでしょうか。
清水寺の境内社に地主神社というお宮さんがあります。狭い境内には、「恋占いの石」と呼ばれる石があって、修学旅行で訪れた生徒さんにも人気のスポットです。曰く、境内にある二つの石、片方から他方まで目をつぶったまま歩くことができれば恋愛が成就する云々。ちょっとした遊び感覚で試せることもあって、いつも誰かがチャレンジしているようです。面白いのは、この石に関する記述は江戸時代の地誌にも見られ、そこでは片方から他方までは目をつぶって歩くと到達できない、となっていることです。いわゆる七不思議の類いのように、清水寺にまつわる不思議現象としての紹介なのです。それがいつの間にか「到達できない」が「到達すると幸いに恵まれる」になり、さらに「到達すると恋が叶う」へとアレンジされていったのでした。江戸時代に出版された巷間小説には、地主神社の境内は男と女の出会いの場であるような描かれ方をしているものもあり、縁結びの要素が付いたことをあざとい商魂のように言うのは当たっていません。しかし、無色透明な幸運というよりは、縁結びの側面を強調した方が注目度は上がるのでは?ぐらいの思惑があったのではないでしょうか。本願が縁結びなら格別
野宮神社と源氏物語の世界
貴船神社と和泉式部伝説
 次は、京の奥座敷こと貴船神社です。貴船神社はユニークな水占みくじで有名ですが、注目するのはそれではありません。結の社(中社)の和泉式部伝説です。情熱歌人として知られる和泉式部は、夫の心が離れたことを嘆いて貴船の神に祈りを捧げたといいます。そして歌を詠むと、山の神が歌を返してくれたと伝わります。そのことがきっかけで夫婦仲は元に戻って睦まじく云々。和泉式部が生きた頃の話ではなく、中世になって数多く語られる和泉式部伝説の一つですが、結の社の境内には和泉式部の歌碑も置かれており、恋のお願いをするには相応しい場所といえるでしょう。
次は、京の奥座敷こと貴船神社です。貴船神社はユニークな水占みくじで有名ですが、注目するのはそれではありません。結の社(中社)の和泉式部伝説です。情熱歌人として知られる和泉式部は、夫の心が離れたことを嘆いて貴船の神に祈りを捧げたといいます。そして歌を詠むと、山の神が歌を返してくれたと伝わります。そのことがきっかけで夫婦仲は元に戻って睦まじく云々。和泉式部が生きた頃の話ではなく、中世になって数多く語られる和泉式部伝説の一つですが、結の社の境内には和泉式部の歌碑も置かれており、恋のお願いをするには相応しい場所といえるでしょう。今宮神社と玉の輿
 もう一つ、大徳寺横の今宮神社もラインナップに加えておきます。平安京以前より祀られていた産土神の今宮神社ですが、応仁の乱で灰燼に帰した後、秀吉の時代に復興、とそこまでは他でもありがちなパターンですが、今宮神社が特別なのは、江戸時代になってからのエピソードです。西陣に生まれて五代将軍綱吉を生んだ桂昌院は、出生地の神である今宮神社を信奉しており、大出世を果たした後年には多くの援助を行いました。桂昌院が「玉」という名前だったことから「玉の輿」の語源との俗説も生まれたエピソードです。今宮神社ではその遺徳と讃えて現在に至りますが、低い身分から出世を遂げた桂昌院に因むという願いを込めて、開運祈願のお守りが「玉の輿守」として授与されています。縁結びや恋愛成就と少しニュアンスが異なりますが、恋愛成就があっての玉の輿ですから、良しとしておきましょう。
もう一つ、大徳寺横の今宮神社もラインナップに加えておきます。平安京以前より祀られていた産土神の今宮神社ですが、応仁の乱で灰燼に帰した後、秀吉の時代に復興、とそこまでは他でもありがちなパターンですが、今宮神社が特別なのは、江戸時代になってからのエピソードです。西陣に生まれて五代将軍綱吉を生んだ桂昌院は、出生地の神である今宮神社を信奉しており、大出世を果たした後年には多くの援助を行いました。桂昌院が「玉」という名前だったことから「玉の輿」の語源との俗説も生まれたエピソードです。今宮神社ではその遺徳と讃えて現在に至りますが、低い身分から出世を遂げた桂昌院に因むという願いを込めて、開運祈願のお守りが「玉の輿守」として授与されています。縁結びや恋愛成就と少しニュアンスが異なりますが、恋愛成就があっての玉の輿ですから、良しとしておきましょう。![caedeKyoto[カエデ京都] 紅葉と伝統美を引き継ぐバッグ](https://caede-kyoto.com/wp/wp-content/uploads/2024/07/メインロゴ.png) 
 
