渡月橋から眺める嵐山もさることながら、嵐山の紅葉を意図して取り込んだ庭、天龍寺庭園の秋はやはりスゴイ

京福電車の嵐山駅を降りて嵐山観光を始める時、一番最初に訪れる場所にあるのが臨済宗天龍寺派の総本山、天龍寺。一説によれば後醍醐天皇の怨霊を恐れた足利尊氏が鎮魂のために創建したのだとか。真実のほどはさておき、現在の天龍寺は嵐山を借景にした風光明媚のスポットです。

渡月橋の北側に位置する天龍寺。嵐山の顔といえば、渡月橋を挙げる人もいるでしょうし、竹林の小径こそが嵐山の嵐山たるゆえんと譲らない人もいます。しかし、なかには、京福電車嵐山駅を降りて、これから嵐山観光を始めようという時に、まっさきに目に飛び込んでくる天龍寺をもって、これこそが嵐山の顔と考える人もいます。

後醍醐天皇の祟り

そんな臨済宗天龍寺派の総本山天龍寺、まずはお寺の沿革を簡単に。天龍寺が創建されたのは、南北朝時代の1339年のこと。足利尊氏・直義兄弟が、当時の公家武門隔てなく信奉を得ていた夢想国師を請じて開いた禅宗寺院です。ものの本によっては1338年とする説もありますが、1339年に崩御した後醍醐天皇の菩提を弔うための創建というのが公式の立場なので1339年(北朝暦応2年/南朝延元4年)としておきます。この地にあった亀山殿という建物は、もとは亀山天皇の離宮でした。亀山天皇は、南北朝分裂の原因となった皇室内の統派対立で片方の主役だった大覚寺統から出た天皇です。その意味で亀山殿(=後の天龍寺)は大覚寺統の拠点だったことになります。その大覚寺統から出て鎌倉幕府を滅ぼしたのが後醍醐天皇です。ところがその後醍醐天皇も足利尊氏の裏切りにあって京都を追われ、1339年に吉野の山中で崩御することとなります。このように、天龍寺創建の背景には、かなりややこしい時代事情が見え隠れするのですが、要するに足利尊氏・直義が政治的にも厳しく対立し、結果的に憤死に追い込んだ後醍醐天皇を慰めるべく、京都におけるその拠点の一つを仏寺に改めたのが天龍寺ということです。一説によれば、尊氏は後醍醐天皇の怨霊を恐れており、その恐れが天龍寺を創建させたとも言われています。室町時代以降の歴史においては、京都五山の第一として栄えたこと、応仁の乱による罹災を含め、たびたび火災に遭いながら、その都度、復興していること、江戸時代末期には禁門の変で戦場となったことなどが特記されます

曹源池を眺める

曹源池続いて境内の拝観について。広大な境内では諸堂部分と庭園部分、および法堂が有料の拝観対象です。一番の見どころは曹源池を擁する庭園(一般に天龍寺庭園と呼ばれています)です。天龍寺の建物自体はたびたびの火災を経て造替を重ねているのに対して、庭園は夢想国師による創建当時の面影を留めるとされています。自然公園さながらに多くの木々が植えられている庭園なので、モミジをはじめ秋の彩りも存分に楽しむことができます。紅葉がもっとも鮮やかになる11月末が一番の見頃ですが、人出の方も著しくなることを考えると、少し早めのタイミングを選ぶのもいいかも知れません。紅葉にはややはやい11月上旬でも黄ばみ始めた木々の色合いは、それなりの見栄えを与えてくれます。庭園内の順路を歩いて各所を眺め廻るかたちでも十分に楽しめますが、天龍寺庭園の魅力がもっとも感じられるのは大方丈から曹源池を眺めた時です。池の奥の石組みから流れ落ちる流水が滝を表現し、そこに鯉魚石と名付けられた石を配したつくり、これは中国の故事、登竜門を踏まえるものだとか。また手前の岩島や浮島は方丈からの視点を意識して、借景となる嵐山との取り合わせで引き立つように配置されています。こうした眺めが楽しめるという意味でも、庭園散策だけで終わらせずに諸堂拝観を追加した拝観形式がお奨めとなります。拝観順路は諸堂拝観付きの形式では、庫裏より入って大方丈と小方丈(書院)および多宝殿まで行った後、折り返して庫裏に戻り、庭園に降りる形となっています。庭園散策のみの形式であれば、曹源池まわりの散策の後、北側の百花苑(昭和時代に整備された新しい庭園)を抜ければ北門を経て竹林の小径に出ることもできます。

庫裏でお出迎え、あのだるま図

ところで天龍寺を拝観した方の声を聞くと、天龍寺庭園以上にインパクトを残したものとして、庫裏で参拝者を迎えてくれるだるま図を挙げる人が少なくありません。左斜め上に視線をやって、どこか不機嫌そうにも見える眼差しでだるま図です。この絵は、元管長の故・平田精耕の筆によるものだそうです。せっかくなので写真に収めたいと思うものの、ガラス張りになっているためベストアングルである真正面に立つと、見事に自身の姿が映り込むという落とし穴付き。映り込みが目立たないくらい距離を取っての撮影が関の山になるのですが、そうすると今度は構えているカメラの前を他の参拝者が前を横切ってくれてタイミングが難しくなる等々、なかなか撮影が難しい絵です。