【更新:12月10日現在 紅葉の状態:見頃終了】
京都の東南に広大な寺域を誇る醍醐寺は、国宝建造物が多く、世界遺産「古都京都の文化財」の一角をなす名刹です。秀吉の大花見ゆかりの地で春の景観がよく紹介されますが、秋の紅葉もまた格別です。金堂や五重塔を擁する下醍醐に加え、清瀧宮や薬師堂のある上醍醐、それぞれの魅力をまとめてご案内します。

少し極端な言い方になりますが、地下鉄東西線が開通した1997年、京都市民の多くが抱いていた空間認識が変容を来しました。山科エリアや醍醐エリアが普通に行き来できるようになったからです。
もちろん、山科も醍醐も行政上は京都市なので、以前から市内だったには違いありませんが、山科ないし醍醐方面に行こうと思うと、車を出すのが当たり前でした。現在の感覚でいえば、常照皇寺や峰定寺ぐらいの遠さに意識していたのかも知れません。同じ京都市内だと言っても、京北の常照皇寺や花脊の峰定寺に行こうと思うのなら、車を出すより他には手段がないと考える、それと同じ発想だったのです。
さて、そうした山科エリアおよび醍醐エリアですが、1997年の時点では醍醐駅が始発駅であり、駅から徒歩圏内の醍醐寺は、東西線によって近くなった場所のシンボル的な存在でした。
現在では、世界遺産「古都京都の文化財」のひとつとして内外の観光客にも親しまれている場所ですが、醍醐寺について振り返っておきましょう。
醍醐寺が開かれたのは平安時代に修験道の祖の理源大師聖宝がこの地の山頂付近に堂宇を建てたのが始まりです。ここで霊水が得られたからなのですが、
聖宝はその水の味を醍醐味と評し、山を醍醐山と名付けました。そうして
寺院の名前は、醍醐寺としたのでした。
この開山の頃に置かれたのが准胝堂や如意輪堂です。10世紀の初頭には醍醐天皇や朱雀天皇の庇護のもとで山上だけでなく山麓でも大規模な堂宇群の整備が進みます。
上醍醐と下醍醐の成立です。
それ以降は応仁の乱などの戦禍に晒されて荒廃の歴史をたどるのですが、醍醐寺が再興されたのは、16世紀に天下を統一した豊臣秀吉がこの地で大花見をおこなったのがきっかけでした。五重塔の修復、金堂の移築のほか新たに三宝院も建造され、現在の寺観を整えるに至ったのでした。

以上、醍醐寺の歴史を簡単にまとめてきました。次に秋を念頭において醍醐寺の見どころをエリア別に見ていきましょう。
まず
五重塔や金堂のある下醍醐。広々とした境内に点在する伽藍群が見どころなのですが、季節の景観としてピックアップするなら、春に花が咲き誇ることで知られる桜馬場でしょう。
総門と仁王門の間には、参道両側に桜の木が植わっており、秋であれば、木々の葉が赤みを帯びる頃に訪れると壮観な眺めに出会えます。
五重塔もまわりの木々との取り合わせで美しく映えることはありますが、建造物自体が壮観すぎて景観を圧してしまう憾みがなきにしもあらずといったところでしょうか。
その他、
下醍醐の境内でイロハモミジの色彩が映えるのは、境内奥手の弁天堂のまわりです。こちらは
建物と周囲の木々の織りなすハーモニーが水面に映えて、独特の風情を醸し出します。
下醍醐で別格の扱いになるのが三宝院です。
拝観の料金体系でも境内や寺宝収蔵館(霊宝館)と分けられるだけあって、建造物の魅力だけでなく庭園美(三宝院庭園)を楽しむこともできます。
座主の居住区域となっているため、非公開部分も少なくないのですが、一般公開の範囲では、表書院から庭園の全景を眺めわたすことができます
伽藍群の拝観がメインの下醍醐に対して、
上醍醐はちょっとしたハイキングになります。
上醍醐への登り口で入山料を支払い、町石に導かれながら1時間強ほど山道を登り続けると、山上の堂宇群、上醍醐に到達します。
途中には不動滝などの休憩スポットもありますので、のんびり登るのもいいでしょうし、一気に駆け上がれない距離でもありません。
それはさておき、山道なので行程全体が季節の楽しみになるのですが、
ブナやコナラなど広葉樹林の色づきが目を惹く頃がお奨めです。
なお、上醍醐の中でもっとも象徴的な堂宇の一つ、准胝堂は10年前の2008年、夏の落雷によって焼失し、現在は再建にむけての取り組みが行われています。
醍醐寺を語る上で、忘れられないのが、
西国三十三所の観音巡礼です。
近畿圏内における観音霊場33寺に番外の3寺を加えた36寺を巡るのが三十三所巡礼です。
醍醐寺は11番に当たるのですが、正確にいえば西国三十三所に入っているのは、醍醐寺の全体ではなくて上醍醐の准胝堂なのです。しかし、上述の通り、現在は准胝堂が存在していないので下醍醐の大講堂改め観音堂が札所となって朱印の発給を行っています。
観音堂の場所は、境内の中央の貫く参道に沿って歩き、金堂や五重塔のある場所を行き過ぎて弁天堂に至る手前の右手です。