一休禅師が晩年を過ごしたとされる「酬恩庵」

酬恩庵

前身は、臨済宗の高僧・大応国師(南浦紹明)が正応年間(1288~1293)に開いた「妙勝寺」。元弘年間(1331~1334)の兵火によって荒廃していたのを康生2年(1456)に一休宗純が再興し、「師の恩に報いる」との思いから「酬恩庵」になったといわれています。現在では一休禅師にちなんで「一休寺」とも呼ばれています。

酬恩庵
唐門を経て、本堂へとアプローチする石畳の参道。両脇にはカエデが植えられ、足もとには青苔が敷き詰められています。四季折々の花が咲く緑豊かで閑静な境内には本堂や方丈、庫裏、唐門、鐘楼、浴室など多くの伽藍があり、その大半が重要文化財に指定されています。方丈は慶安3年(1650)に前田利常によって再建。一休禅師の性格が見事に表現された一休禅師木像があるほか、狩野探幽筆の襖絵も再現されています。一休禅師木像は逝去前に弟子に命じて作らせたもので、自身の頭髪や髭を抜いて植えたとか(現在は抜け落ちています)。

名勝の枯山水の方丈庭園

酬恩庵
南・東・北の三方から構成される枯山水の方丈庭園は国の名勝。落ち着いた白砂の南庭と、巨石などで枯滝が再現された豪快な北庭の対比も見どころです。江戸時代初期の石川丈山(いしかわじょうざん)、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)、佐川田喜六(さかわたきろく)の合作といわれています。

境内には一休さんゆかりのものが点在しています

酬恩庵
境内には、ほうきを手にしている少年一休像や、「慈揚塔」とよばれる一休禅師の墓(宗純王廟)、終の住みかであった虎丘庵(こきゅうあん)などが点在し、いずれもさりげないたたずまいで境内に溶け込んでいます。また、絵馬にも一休さんが描かれています。

一休禅師の痕跡をたどってみませんか?

酬恩庵
とんち話で知られ、「一休さんの愛称でおなじみの「一休禅師」。型破りな性格で各地を転々とし、ひとつの場所に長く滞在しなかったそうですが、この地では63歳から88歳で亡くなるまでの25年間も過ごしたといわれています。一休禅師が晩年を過ごしたお寺で、その痕跡をたどってみてはいかがでしょうか?
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酬恩庵(しゅうおんあん) 一休寺(いっきゅうじ)
●京都府京田辺市薪里ノ内102 ●近鉄新田辺駅から京阪バスで5分、バス停一休寺下車徒歩5分