三尾を知らずして京都の秋を語るなかれ。京の秋、定番中の定番、THE定番、ここに降臨

桂川の支流、清滝川の上流に並ぶ高雄の神護寺、槙尾の西明寺、栂尾の高山寺は、合わせて三尾と称され、京都の秋を代表する紅葉スポットです。それぞれに広い境内を有しているため、一度の来訪で3箇寺のすべてを巡るのはたいへんですが、1つか2つに絞れば京の秋を満喫する最強のスポットになります。

三尾〜高雄神護寺・槙尾西明寺・栂尾高山寺

高山寺世界遺産「古都京都の文化財」が登録された時、17の物件に高山寺が含まれていたことを知って、おや?と思ったことを覚えています。高山寺が登録に相応しくないと思ったのではなく、高山寺だけが選ばれて他の2つが選ばれないのはなぜだろう?と思ったからでした。他の2つ、すなわち高雄の神護寺と槙尾の西明寺です。このように、栂尾の高山寺が話題になると、条件反射で他の2つを意識してしまうようになっているのです。このことは、他の2つがメインになっても同じです。何かの文脈で高雄の神護寺が話題になると、それなら槙尾の西明寺は?、栂尾の高山寺は?という具合に関心が広がってしまうのです。こうしたことの背景にあるのが、三尾という名前の下、清滝川に沿った3寺、すなわち高雄の神護寺・槙尾の西明寺・栂尾の高山寺を、紅葉名所として一括りにするという古くより行われてきた発想でした。なお、高雄・槙尾・栂尾はそれぞれの寺院の山号で、正確には高雄山神護寺などの言い方になります。

高雄

神護寺の紅葉三尾の中で清滝川の最も下流に位置するのが高雄の神護寺です。今日の表記は高雄が普通ですが、古くは高尾だったこともあるようです。三尾という括りは、高尾という書き方が普通だった頃に始まったのかも知れません。それはさておき、高雄の神護寺は三尾の中核でした。平安時代の初期に神願寺と高雄山寺という2つの山寺として創設され、最澄や空海が関わったこともありました。2寺はのちに統合されて神護寺と呼ばれるようになりますが、平安時代の末期には衰退していました。その神護寺の復興に貢献したのが、打倒平家に奔走していた文覚上人です。後白河院や源頼朝の援助も取り付け、文覚の弟子の代には現代に繋がる寺観も整いました。現代、境内で目にすることのできる堂宇群は、江戸時代の初期、あるいはそれ以降のものです。この神護寺では、境内から眺める谷々の紅葉だけでなく、清滝川の畔から本堂に至る長い石段もまた美しい紅葉が飾り付けを加える場所として知られています

槇尾

西明寺指月橋の紅葉高雄の神護寺参道入口より清滝川を5分ほど上ったところに槙尾山西明寺の入口が見えてきます。神護寺の別院として9世紀の前半に創設され、のちに神護寺より独立したと伝わっています。兵火によって焼亡した後に復興され、現代に至っています。本堂は徳川綱吉の母、桂昌院の寄進によるもの(別説あり)だそうです。この西明寺は、三尾の中では人出が少なめになる傾向があります。圧倒的な知名度の高山寺、石段の紅葉が広く喧伝されている神護寺と比べると、三尾の中の「あと一つ」のような扱いになりがちの場所です。しかし錦秋の季節に境内に入って拝観コースをぐるり廻ってくればわかるように、木々の紅、苔の緑、趣のある石灯籠、見どころには事欠きません。三尾の中での相対比較とはいえ、まだ少ないと思える人出は、むしろ三尾の秋を楽しむ好条件と捉えるべきでしょう

栂尾

高山寺栂尾の高山寺は、神護寺の子院があった場所に、鎌倉時代の初期、明恵上人が創建した寺院です。境内の石水院は創建時の経堂だったとされます。三尾の中で、高山寺のみが世界遺産に登録されたのは、鎌倉時代の建造物である石水院の存在があったからではないでしょうか。石水院では年間を通して拝観料が必要ですが、境内の他のエリアは秋の紅葉シーズン以外は無料です。さて高山寺における最大の見どころが石水院なのは変わりません。しかし、金堂や開山堂が木の葉の紅を纏っている眺めもまた素晴らしいものです。建造物だけではなく、石水院からそれら堂宇に至る山道も見どころと言えるでしょう。また高山寺は充実した持宝を持っていることでも知られます。最も有名なのば、マンガのルーツとも評される鳥獣人物戯画絵です。絵巻の原本は京都国立博物館に管理が任されているので石水院ではレプリカを見ることになります。他にも寺名の由来となった後鳥羽院下賜の日出先照高山之寺の額や樹上座禅像なども見ることができます。これらについては複製かどうかの説明は見ませんが、鎌倉時代の扁額や国宝絵巻が常時展観されているとは思えません。

清滝川

清滝川沿いの紅葉高雄ほか、三尾の各寺院を簡単に振り返りましたが、忘れてはいけないのは、三尾を結ぶルートとなっている清滝川、およびその畔に設けられた遊歩道です。清滝川が錦雲渓という別名を持つのは、ひとえに紅葉の美しさによるものですが、三尾より愛宕山の登山口である清滝を経て、保津峡との合流点落合まで至る川辺の遊歩道は、三尾の秋を象徴的に示すものです。