応仁の乱で西軍が陣をおいたことから地名が生まれた「西陣」。観光目線での緩め解釈ではその範囲は広がりすぎる傾向もありますが、厳しく限定的に捉えると、それはそれでマニアック色が強くなりすぎるキライも。ほどよいところでバランスをとれば、有意義な西陣探索が楽しめます。
西陣とは西軍の陣地の意。つまり京都の歴史を語る上で避けて通れない大事件、京都を焦土と化した応仁の乱に際して、西軍を率いた山名宗全が本陣を置いた地のことです(ちなみに細川勝元が陣を構えた今出川新町は東陣とは言いません)。大乱の終結後、ほどなくして「西陣」という言葉が地名として用いられるようになっているので、その界隈には人々が寄り集まる必然的な理由があったものと思われます。それが何だったのか、常識的な範囲で考えると、大乱以前よりこのエリアを中心に生産と集住が始まっていた織物業者関連の事情でしょう。分かりやすそうで、どこか分かりづらい西陣の奥行き、ビギナーにもマニアにも優しい西陣案内
- 2020/2/25
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