
応仁の乱で西軍が陣をおいたことから地名が生まれた「西陣」。観光目線での緩め解釈ではその範囲は広がりすぎる傾向もありますが、厳しく限定的に捉えると、それはそれでマニアック色が強くなりすぎるキライも。ほどよいところでバランスをとれば、有意義な西陣探索が楽しめます。
西陣とは西軍の陣地の意。つまり京都の歴史を語る上で避けて通れない大事件、京都を焦土と化した応仁の乱に際して、西軍を率いた山名宗全が本陣を置いた地のことです(ちなみに細川勝元が陣を構えた今出川新町は東陣とは言いません)。大乱の終結後、ほどなくして「西陣」という言葉が地名として用いられるようになっているので、その界隈には人々が寄り集まる必然的な理由があったものと思われます。それが何だったのか、常識的な範囲で考えると、大乱以前よりこのエリアを中心に生産と集住が始まっていた織物業者関連の事情でしょう。[西陣の範囲は?]
[マニアックな観光スポット、妙蓮寺や本法寺]
さてそうした西陣界隈ですが、このエリアに含まれる観光スポットを紹介するとすれば、どうなるでしょうか。実はこれがまたいくらかややこしい話になってきます。というのは、京都の観光スポットのメインストリームは「平安時代には云々」といった具合に歴史のある神社仏閣が中心になっているのに対して、西陣界隈にはそうしたスポットが少ないからです。広いエリアを指し示す「西陣」という名前は有名でも、ピンポイントでピックアップされる場所は多くないという不思議な現象が起きているのです。戦国時代に京都で勢力を誇った日蓮宗(法華宗)の諸寺は西陣界隈にたくさんあるので、訪れるに値するスポットが少ないと言っているのではありません。探せばたくさん出てくるそうした諸寺は、世界遺産に登録されている清水寺や金閣寺のような観光情報的に分かりやすいスポットにはなっていないということです。それを承知の上で相応にマニアックなアンテナを働かせると、長谷川等伯の襖絵や庭園の一般公開を行っている妙蓮寺(堀川通寺之内西入る)、本阿弥光悦作庭の巴の庭などで知られる本法寺(堀川通寺之内)などが網に引っかかってくることでしょう。これらは手軽なガイドブックでは取り上げられることの少ないスポットなので、探す側にもそれなりの知識と熱意が求められてきます。[西陣聖天こと雨宝院]
そうした方向性でさらに掘り下げていくと、観光客向けの整備をしているわけではないながら一般に公開されている範囲で桜や紅葉が綺麗なスポットというのも見えてきます。西陣の聖天さんこと雨宝院(上立売通智恵光院西入る)もそうした場所の一つで、マイナーなお寺さんお宮さん巡りを趣味にしている人々の間では高い人気を誇っています。

