奥嵯峨の入口にあたる「竹林の小径」、微かな笹の葉擦れに耳を傾けると、失われた大竹藪が見えるかも

天龍寺の北側は野宮地区と呼ばれます。奥嵯峨の入口にあたるこの一帯はかつて広範な竹藪に覆われていました。現在、「竹林の小径」と名付けられて、嵯峨野のシンボルとなったスポットも、もとはそのごく一部だったのです。この「竹林の小径」を歩いて、奥嵯峨の歴史を垣間見ていきましょう。

天龍寺に北接する路地のうち約500mの区間が、通称「竹林の小径」です。以前は「竹の道」とか「嵯峨野の竹林」とか、人によってさまざまに呼ばれていましたが、現地に設置された道標に「竹林の小径」と明記されてからは、それが正式の名称となったようです。 嵐電・嵐山駅からなら、道路の反対側に渡って北上、約300m先の角を左折して道なりに進めば、ほどなくして路地の両側に竹林が目立ち始めます。そして分岐(件の道標の設置場所)で野宮神社方面と分かれると、本格的に竹林の中に突き進んでいくこととなります。 路地の両側を小柴垣で飾り、その奥には優に10mは越える丈の竹林が長く先まで続き、昼間も薄暗さを保つその景観は多くの人の感興をくすぐること間違いありません。

宅地開発の時代〜多摩と奥嵯峨

この区間に限らず、嵐山商店街から西側の奥嵯峨一帯は、かつては広く竹林に覆われていたと言います。昭和時代の中頃の話ですが、宅地開発の波が太秦や嵯峨野から奥嵯峨に及び、界隈の竹林も大胆に伐採されました。それを聞いた谷崎潤一郎が激怒したとかの話も伝わっています。 そうした開発が、清涼寺のまわり、さらに鳥居本周辺まで及び始めた段階で反対運動が起こり、開発を規制する風致地区の指定がこの地域に対して行われたのでした。 これは、昭和30年代から40年代の首都圏で山野ごとが消え失せた多摩地方のケースを引き合いに出して、同じ轍を踏むなとの運動だったのですが、現実的な宅地需要があるのに加え、市営住宅の建設も始まっていたこともあって、網の目に掛けられたのは、かなり限られたエリアでした。 二尊院周辺や鳥居本(こちらは後にもっと厳しい「伝統的建造物群保存地区」に指定)の界隈がそれで、天龍寺北側の野宮界隈もその対象エリアに含まれることとなりました。 現在では、嵐山にやってくる観光客が、渡月橋と並んで訪れたい一番に挙げる人気スポットとなっており、季節を問わない賑わいを見せています。背後にあったこうした開発をめぐる騒動はすでに遠い昔のことなのでしょう。この小径を目玉商品の一つにしているのが、界隈を人力車で案内するゑびす屋のサービスですが、狭い竹林で人力車と歩行者がすれ違う際のトラブルを危惧して人力車サービスの専用路を設置したといいます。これも、ここ数年のスパンで見て人気が急激に高まってきていることの証しです。

竹林の味わい

この竹林の小径は、陽射しや天候によって味わいが変わってきます。朝の早い時間帯なら涼しい空気の中で、人出の少ない竹林を楽しむことができますし、昼下がりなら緑に染まった木漏れ日が独特の風情を生み出します。また風が通る時には笹の擦れ合う音が、雨の日でも葉を叩く雨音が味わいを出してくれます。 そして、夜には夜の魅力が。といっても、ここでライトアップが行われるのは、12月中旬の嵐山花灯路の時と限られています。11月下旬から12月の上旬が嵐山界隈の紅葉シーズンで、その時季を狙って訪れる観光客も少なくありませんが、黄金色の照明を竹林に投射するライトアップを楽しむのなら、機会を改める必要があります。

小倉百人一首をめぐる

ところで、この竹の小径の周辺には、小倉百人一首を石に刻んだ文学碑が随所に置かれています。たとえば表通りから路地側に入って50mほど進んだ右手の広場、あるいは野宮神社の正面広場、はたまた竹の小径を抜けた先、二尊院の南側広場などにおいて。 これらは「小倉百人一首文芸苑」と名付けられた野外展示で、小倉百人一首文化財団が設置したものです。小倉百人一首は藤原定家が小倉山荘の襖装飾につかう色紙として選定した百首で、嵯峨野の文学的風土を語る上では必須アイテムです。その百人一首をモチーフにした文化事業、観光事業を行うべく平成15年に設立されたのが小倉百人一首文化財団です。そしてその目玉事業が天龍寺に隣接する百人一首ミュージアムの「時雨殿」(現在休館中)と、すべて異なる書家に揮毫を依頼した百首の石碑設置でした。 文芸苑の展示場所は、上に紹介した竹の小径周辺の3箇所(順に野宮地区、奥野宮地区、長神の杜地区といいます)のほか、嵐山公園亀山地区と嵐山東公園地区に分かれます。各地区は古今和歌集などの歌集単位で集約されていて、古今和歌集・後撰和歌集・拾遺和歌集の三代集を集める亀山地区には、全体の半数におよぶ49基の石碑が設置されています。 百人一首が好きな方、書に関心のある方なら、個別に見てまわっても楽しめることでしょう。