嵯峨野の秋を彩るは、平安王朝の基礎を固めた嵯峨天皇の歴史遺産。門跡寺院に垣間見る歴史の重みを併せて拝観。

嵯峨野の秋を彩るは、平安王朝の基礎を固めた嵯峨天皇の歴史遺産。門跡寺院に垣間見る歴史の重みを併せて拝観。

平安遷都を実行したのは桓武天皇ですが、平安王朝の体制確立に大きく寄与したのは、第2皇子の嵯峨天皇だったとも言われます。北嵯峨の大覚寺は、かつては嵯峨天皇の別荘だった場所。門跡寺院として尊重された経緯より、現在の大覚寺で表の現れるのは江戸時代初頭の風合いですが、細部を掘り下げれば嵯峨天皇の時代まで一気にさかのぼることもできます。

秋の大覚寺庭園北嵯峨の大覚寺は、平安時代前期の嵯峨天皇が営んだ別荘(専門的な言い方では「別業」といいます)を、天皇の崩御後に皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)が寺院に改めたもので、貞観18年(876年)を創建の年としています。現在の大覚寺は「旧嵯峨御所大覚寺門跡」を正式名称としており、その名が示す通り、歴代天皇や皇族が多く住持を務めてきた門跡寺院です。このように成り立ちの段階から皇室とは密接な繋がりがあり、伽藍の数々は御所をはじめ、皇室とゆかりのある建物が移築されたケースが多く見られます。中でも有名なのは宸殿および正寝殿です。

宸殿と正寝殿

重要文化財の指定を受けている宸殿は、後水尾天皇中宮の東福門院旧殿だったとも言う寝殿造風入母屋造りの建物です。ここには33畳の広さを誇る「牡丹の間」などの大広間が配されており、前庭には右近の橘と左近の梅が植えられ、さながら御所のようなたたずまいを感じさせます(念のため、御所の紫宸殿前庭は右近の橘と左近の桜)。また廊下および広縁は鶯張りとなっていることでも知られており、二条城と並んで修学旅行生にも人気のスポットとなっています。正寝殿は、宸殿同様に重要文化財指定の建物で、狩野山楽および渡辺始興の筆が障壁を飾っています。また南北朝講話会議が行われた場所とされているなど、歴史的にも重要な意味合いを有する場所です。

大沢池

他にも東側の大沢池に張りだした濡れ縁(観月台)をもつ五大堂や大正天皇即位式の饗宴殿を移築した心経殿など、特徴のある建造物が並びます。こうした殿舎等の建造物やそれぞれの内部を飾る障壁画は、大覚寺拝観の大きな魅力ですが、より幅広くの人気を集めているのは、大沢池散策ではないでしょうか。大沢池は、大覚寺境内の東側にある周囲約1kmにおよぶ人工苑池で、梅林や竹林のある北辺の庭園エリアでは季節ごとの見映えを楽しむことができます。紅葉シーズンも例外ではなく、赤く染まった木々の彩りは、池の美しさを存分に引き立ててくれます。

名古曽の滝

それと、もう一つ、よく話題に上るのが庭園北端にある名古曽の滝跡です。名古曽の滝とは、大覚寺の原型である嵯峨天皇別業(嵯峨院)に設けられていた庭園の滝組で、嵯峨天皇の時代にもすでに美しい滝としての評判が広まっていました。それから時代が下って平安時代中期、嵯峨院はすでに大覚寺に改められ、往時の庭園もその姿を留めてはいませんでした。しかし、滝それ自体が無くなっても、かつてその場所に評判の滝があったことを忘れることはないと、とある歌詠みが和歌に残します。時代を代表する文化人、藤原公任です。小倉百人一首にも公任歌として収載されている「滝の音は絶えて久しくなりぬれどなこそ流れてなお聞こえけれ」の一首がそれです。この歌が広く知られることにより「なこそ流れて」に基づいて、滝の名前も名古曽の滝と呼ばれるようになりました。北端にある遺構は現代の発掘調査により、この場所に平安時代前期の滝組があったことが考古学的に確認されたので、この遺構こそが嵯峨院の滝組であるとされています。この名古曽の滝跡を含む庭園エリアを散策していると、他にも紀友則歌碑(大沢池に浮かぶ菊ヶ島の名前の由来となった歌)や嵯峨天皇詩碑(嵯峨天皇が空海との別れを惜しんで作ったとされる漢詩)など、文学碑に興味を持つ人にとっては刺激的なアイテムがたくさん置かれています。

戊戌開封法会

ところで話は替わるのですが、本年2020年は干支紀年法で表示すると庚子の年となります。干支紀年とは子丑寅宇~の十二支と甲乙丙丁~の十干を組み合わせて年を表記する60進法の年表記法です。60年で一巡する形になっていて、親しみのある言葉では、60歳を「還暦」と呼ぶのも干支紀年での暦が一巡して還ってくることからできたものです。そうした干支紀年では、戊戌の年がやってくるのも60年に一度のことになります。大覚寺では、この戊戌の年に「戊戌開封法会」という法要が行われ、10月と11月には嵯峨天皇ほか、後光厳天皇、後花園天皇、後奈良天皇など歴代天皇が写したという般若心経が展観に供されます。大覚寺は、般若心経写経の根本道場として親しまれているのですが、古くから伝わるその信仰を象徴するのが歴代天皇による写本般若心経です。この般若心経は、普段は非公開で60年に一度の法要の時のみ公開されることから「勅封般若心経」と呼ばれています。ちなみに、この戊戌開封法会は大覚寺の法要の中でも重要度の高いものなので、例年行われている秋季特別名宝展やお砂踏みなどの行事は中止となっています。