1本1本を注視するとそれほどでなくても全体で見ると印象が変わるものがあります。竹、および竹藪はそうしたものの1つです。嵐山は野宮地区の竹藪、広大な面積を誇った西山の竹林、あるいはライトアップされた夜の青蓮院の竹藪、これらを手がかりにして竹藪の美しさとは何だったのかを考えてみようと思います。
竹藪の美しさを積極的に考えてみたことはあるでしょうか。桜の華やかさ、イチョウやモミジの鮮やかさ、それらに比べて竹藪には人の目を強く惹きつける要素があるわけではありません。しかし、嵐山は「竹林の小径」のような、ある程度の広がりがある群生地を訪れて全体で眺めるなら、つまり竹藪として眺めるなら、そこに美しさが際立ってくることもあります。
天龍寺北側、いわゆる野宮地区の界隈では小柴垣の演出も奏功しているのでしょうが、それを差し引いても規模の大きさが美しさを醸していると言っていいでしょう。「竹林の小径」と名付けられた、かの竹藪はかつては半世紀ほど前なら嵯峨野全体を広く覆っていたそうです。その竹藪が宅地造成の波の中で次々と伐採され、辛うじて残されたのが野宮地区一帯の竹藪なのだそうです。
さらにいえば、嵯峨野の竹藪もかつては東洋有数の広さを誇っていた西山の竹林、その一部なのだとか。こちらはそうした話を聞いたことがあるという程度のことで、いつ頃のことなのかもわかりませんし、突き詰めれば事実関係も保証の限りではありません。
しかし現在の西京区大枝界隈や向日市、あるいは長岡京市の随所で目に付く竹藪、さらには天王山(大山崎町)の山中などで目にする広大な群生、それらはかつては巨大なひと叢だったのだとすれば、なかなか壮大でロマンチックな感じもします。
仮に東洋有数の規模という話が事実であり、広大な竹林が西山一帯を覆っていたのだとすれば、向日市や長岡京市はその中にすっぽりと含まれていたことになります。また京都市の中では大枝や大原野(ともに西京区)なども同様にそうした竹藪の中だったものと思われます。そして嵯峨野界隈、ここが巨大竹林の東端に相当するのだとすれば、野宮の竹林が嵯峨野の竹林のなれの果てであり、嵯峨野の竹林も西山の竹林のなれの果てという関係性もイメージしやすいものになってきます。
ところで西山の竹林はもとより、嵯峨野の竹林も今では存在しない昔の幻影みたいなものです。しかしながら野宮地区の竹林(=「竹林の小径」)が整備と保全を受けて今に命脈を繋いでいるように、他のスポットで似たような事例を探すことは可能です。
代表的なものであげるなら、京都市の住宅供給公社が管理する「京都市洛西竹林公園」および同公園内の「竹の資料館」あたりでしょうか。これらは洛西ニュータウンが造成された際の大規模な伐採から免れたエリアの竹林を利用して昭和56年(1981)に整備された施設です。嵯峨野の宅地造成から零れた残りが「竹林の小径」であるように、洛西ニュータウンの造成から零れた残りが「京都市洛西竹林公園」となっているということなのでしょう。
また形のある施設とは位置づけは異なるのですが、向日市がかぐや姫を町おこしのツールに活用しているのも、かつての巨大竹藪の幻影に連なるものと考えることもできます。有名なかぐや姫のストーリーは竹林を生業の場としていた人々の物語です。かぐや姫の存在を宇宙人やUFOに結びつけるのは措くとしても、竹取の翁、すなわち人間目線の方では竹藪や竹林があっての、かのストーリーなのです。向日市がかぐや姫の里を名乗ってさまざまな町おこし事業を行うのも、根っこの部分では西山の竹林に繋がっていると言えます。
さて、このあたりで嵐山および西山方面より目を東山に転じてみようと思います。自然林だったかどうかはさておき、東山でも竹林の美しさを目にすることがあるからです。場所は、広大な庭園を持つ青蓮院門跡。かの門跡寺院が夜間拝観(ライトアップ)を実施するようになり、すでに20年ほどは経っているかと思います。そのかなり早い時期に訪れる機会があり、その際に目にした竹林への光線照射が強いインパクトを残したことを覚えています。昼間に眺めた時には、たいした印象も残さない竹藪なので規模は大きくはなかったのでしょう、それでも照射に選ばれた色や照射の方向、影の作り方などが巧妙で、その美しさに衝撃を受けたのでした。それより数年後に嵐山花灯路でライトアップされた「竹林の小径」を見た時には、むしろ工夫の少なさを味気なく思ったくらいでした。この青蓮院での竹林体験は、個人的な要素がかなり強いので竹林の一般的な美しさをいうものには当たらないかも知れません。それでも条件次第では、竹藪にもそうした美しさが宿ることがあることをわかってもらえるなら、それで十分です。