- 2022/9/5
小野妹子創建と伝わる「三宅八幡宮」
叡山電車の八幡前駅から歩いて数分、上高野の地に建つ「三宅八幡宮(みやけはちまんぐう)」。太古、このあたり一帯は「小野郷 とよばれ、古代豪族・小野氏の本拠地だったと伝えられています。飛鳥時代にあたる607年、聖徳太子の命で遣隋使となった小野妹子が九州の […]
叡山電車の八幡前駅から歩いて数分、上高野の地に建つ「三宅八幡宮(みやけはちまんぐう)」。太古、このあたり一帯は「小野郷 とよばれ、古代豪族・小野氏の本拠地だったと伝えられています。飛鳥時代にあたる607年、聖徳太子の命で遣隋使となった小野妹子が九州の […]
慶長3年(1598)、伏見城で63年の人生に幕を閉じた豊臣秀吉公。遺命によって、翌年、東山の阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)に葬られ、慶長4年(1599)に廟と社殿が造営されたのが「豊国神社」の始まりとされています。創建当時は荘厳な社殿だったものの、慶長2 […]
京都屈指の紅葉の名所・高雄の山腹にある「神護寺」。この地にあった和気氏の氏寺である「高雄山寺 と、平安京の遷都に貢献した和気清麻呂(わけのきよまろ)が建立した「河内国神願寺」が統合し、天長元年(824)に「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ) が […]
詩仙堂は、正しくは「凹凸窠(穴冠に果)」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠(穴冠に果)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。 凹凸窠の中心には、江戸時代の絵師、狩野探幽(1602年~1674年)が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像 […]
平安末期にあたる承安5年(1175)、法然上人が比叡山下りて草庵を結んだのが起源と伝わる「くろ谷 金戒光明寺」。小高い丘に堂々たる山門が建ち、境内に阿弥陀堂や御影(みえい)堂、大方丈、文殊塔、18ヶ寺の塔頭寺院が建ち並んでいます。浄土宗七大本山のひと […]
承応3年(1654)、中国・明の高僧であった隠元(いんげん)禅師が渡来し、徳川家綱より宇治に寺地を与えられて開いたのが始まりと伝わる、禅宗黄檗(おうばく)宗の大本山。隠元亡き後、第14代の竜統が日本人で初めて住持となるまで13代も明の僧が続いたことか […]
正式には「大報恩寺」ですが、千本通に近く、釈迦如来を本尊とすることから「千本釈迦堂」の名前で知られています。承久3年(1221)に、義空上人(ぎくうじょうにん)が小さなお堂を構え、本尊の釈迦如来坐像と十大弟子立像を安置。釈迦念仏道場としたのが起源とい […]
前身は、臨済宗の高僧・大応国師(南浦紹明)が正応年間(1288~1293)に開いた「妙勝寺」。元弘年間(1331~1334)の兵火によって荒廃していたのを康生2年(1456)に一休宗純が再興し、「師の恩に報いる」との思いから「酬恩庵」になったといわれ […]
京都郊外、木津川ののどかな集落に建つ、真言宗智山派の「蟹満寺(かにまんじ)」。開基や由緒については明らかになっていないものの、周辺の発掘調査などにより約1300年前の白鳳期に建立、秦氏の氏寺と推測されています。元徳元年(1711)に智積院の僧・亮範が […]