- 2021/3/4
四季を感じられる庭園。武士から文人となった石川丈山の山荘跡「詩仙堂」
詩仙堂は、正しくは「凹凸窠(穴冠に果)」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠(穴冠に果)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。 凹凸窠の中心には、江戸時代の絵師、狩野探幽(1602年~1674年)が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像 […]
詩仙堂は、正しくは「凹凸窠(穴冠に果)」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠(穴冠に果)とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。 凹凸窠の中心には、江戸時代の絵師、狩野探幽(1602年~1674年)が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像 […]
平安末期にあたる承安5年(1175)、法然上人が比叡山下りて草庵を結んだのが起源と伝わる「くろ谷 金戒光明寺」。小高い丘に堂々たる山門が建ち、境内に阿弥陀堂や御影(みえい)堂、大方丈、文殊塔、18ヶ寺の塔頭寺院が建ち並んでいます。浄土宗七大本山のひと […]
承応3年(1654)、中国・明の高僧であった隠元(いんげん)禅師が渡来し、徳川家綱より宇治に寺地を与えられて開いたのが始まりと伝わる、禅宗黄檗(おうばく)宗の大本山。隠元亡き後、第14代の竜統が日本人で初めて住持となるまで13代も明の僧が続いたことか […]
正式には「大報恩寺」ですが、千本通に近く、釈迦如来を本尊とすることから「千本釈迦堂」の名前で知られています。承久3年(1221)に、義空上人(ぎくうじょうにん)が小さなお堂を構え、本尊の釈迦如来坐像と十大弟子立像を安置。釈迦念仏道場としたのが起源とい […]
前身は、臨済宗の高僧・大応国師(南浦紹明)が正応年間(1288~1293)に開いた「妙勝寺」。元弘年間(1331~1334)の兵火によって荒廃していたのを康生2年(1456)に一休宗純が再興し、「師の恩に報いる」との思いから「酬恩庵」になったといわれ […]
京都郊外、木津川ののどかな集落に建つ、真言宗智山派の「蟹満寺(かにまんじ)」。開基や由緒については明らかになっていないものの、周辺の発掘調査などにより約1300年前の白鳳期に建立、秦氏の氏寺と推測されています。元徳元年(1711)に智積院の僧・亮範が […]
東に鴨川、西に京都御苑を望む寺町通荒神口に建つ「京都府立鴨沂(おうき)高等学校」。 前身は明治5年(1872)に日本初となる官公立の女学校(高等女学校)として創立された「新英学級及女紅場」で、旧九条殿河原町邸に設立されました。 明治時代初期の女子の教 […]
緑豊かな自然に囲まれた、京都市右京区にある「沢の池(さわのいけ)」。 水質生物などの学術調査も行われている、市内でも数少ない美しい池です 沢の池は、江戸時代末期に造られた農作業用の人工池で、時代劇などのロケ地としても使われているとか。晴天の日は水面に […]
ラジオ放送が日本で始まったのは、大正14年(1925)のことです。 皆さんは「ラジオ塔」をご存じでしょうか? 昭和初期から戦時中にかけてラジオは高級品で、一般家庭に普及していませんでした。 そこで、公園などの屋外に街頭ラジオとして「公共のラジオ受信機 […]