嵯峨野とはどこでしょう? 嵯峨天皇ゆかりの土地であることは分かっても、それが具体的にどこなのかは意外と知られていないのかも

たびたび耳にする地名ながら、実情はよくわからないといったケースはいろいろなところで見受けます。嵯峨野でも同じことが言えるのではないでしょうか。そもそも嵯峨野とはどこなのかといった疑問から始まって、かつての嵯峨野といまの嵯峨野の比較をしてみれば、見えていなかった何かが目に留まるかも知れません。

嵯峨野という地名は、嵯峨地域に広がる野原という意味合いの言葉でした。そして嵯峨地域が指しているのが、現在の町名で嵯峨および嵯峨野という言葉が入るエリアなので相当な広範囲になってきます。地名のもともとの由来は、嵯峨天皇の諡号(亡くなった貴人に送られる名前、一般に使われている〇×天皇はすべて諡号)からですが、嵯峨天皇が葬られた御陵は大覚寺北西の山中にあります。大覚寺は嵯峨天皇が別荘として利用されていた場所ですので、この一帯が嵯峨天皇ゆかりの土地というニュアンスで「嵯峨」の名が付されたということでしょう。ちなみに、諡号となった嵯峨の語源については各種の説がありますが、傾斜のある地=サカに険峻さを意味する当て字をしたという説に説得力を感じます。

嵯峨野はじりじりと奥へ追いつめられていく

それはともかくとして大覚寺のあたりから広沢の池方面、さらにはその南側一帯の平野部を広くカバーするのが、本来の意味での嵯峨野です。しかし、現代の観光目線で言うところの嵯峨野はかなり範囲が狭まっている感がなきにしもあらずです。というのは、本来は奥嵯峨の名で呼ばれていた地域、すなわち竹林の小径から祇王寺や二尊院などが並ぶあたりが、現代で言うところの嵯峨野と重なってくるからです。その背景には、おそらくは竹林の伐採と宅地造成をめぐる一連の騒動が影響しているのではないでしょうか。かつて嵯峨野一帯(本来の意味、つまり広沢の池より南側の広い範囲)は、いたるところに竹林が茂っていて森閑な雰囲気を漂わせていたといいます。それが住宅地需要の流れに押され、大規模な開発が行われました。当時の状況を言い表す表現として「嵯峨野はじりじりと奥へ追いつめられていく」というものがあります。そうした開発の動きを非として詰るのは、全くの部外者か、さもなくば余裕のある有閑族と相場が決まっていますが、本来の嵯峨野と現代の嵯峨野は重なるものではないということは知っておいてもいいのではないでしょうか。

残滓の嵯峨野

さて、その上で現代の嵯峨野についてのお話です。竹林の奥に広がる紅葉スポットという方向で紹介されるところですが、主要なトピックは祇王寺と二尊院です。祇王寺の苔庭や二尊院の紅葉の馬場で出合うことのできる景色は、確かに秋の嵯峨野を象徴する美しいものであるには違いありません。しかし、これらが有料の拝観スポットの内側であることは改めて意識しておくべきです。というのは「追いつめられ」た挙げ句が現在の嵯峨野であるとすれば、有料の拝観スポットの中に保護されたのは、かつては嵯峨野のいたる場所で見ることのできた風景、その残滓であると考えられるからです。祇王寺と二尊院だけを取り上げていますが、大河内山荘にしてもあだし野念仏寺にしても、それぞれの内側には、いつまでも眺めておきたくなる美しい嵯峨野が残っています。ただ、祇王寺や二尊院の場合と同じく、私有地という囲いの中に閉じ込めることによってでしか残せなかった風景でもあるのです。

北嵯峨を歩く

ところで、嵯峨野というと奥嵯峨の方ばかりに目が行ってしまいますが、北嵯峨もまた残された嵯峨野であるには変わりありません。祇王寺や二尊院まわりの奥嵯峨に比べると、いくぶん本来の姿に違い雰囲気が残っているかのようにも感じられるのが北嵯峨地域です。とはいえ、宅地化しているのではなく、広く農地化しているだけで、これも開発の結果に変わりないといえばそうなのかも知れません。しかし、広沢の池の西側から直指庵のあたりを歩き回ってみると、奥嵯峨とは異なる空気を感じることができます。嵯峨御陵のほかに、後宇多天皇陵もあって、ある意味で不可侵ゾーンとなってしまっていることも、いい意味で影響しているのかも知れません。

美しい嵯峨野はいずこへ

嵯峨野散策を決め込むのなら、祇王寺や二尊院だけで終わらせるのではなく、距離はかなり長くなってしまうのですが、大覚寺から直指庵、さらには北側から回り込む形で広沢の池のほとりに出てくる北嵯峨散策も加えておいて欲しいものです。この嵯峨野を舞台とした開発をめぐるせめぎ合いは、開発を支持する側と非難する側のどちらに与するのかは簡単には決められません。それでも、嵯峨野と呼ばれる場所でかつて何があったのかは、ぜひ知っておいて欲しい事柄です。観光目線でいうと、どうしても美しく整えられた部分だけに注目しがちになるのは止むを得ないことだとしても、そこで終わるのではなく、視界を広げることができたなら、見る楽しみも深まってくるのではないでしょうか。